日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎警戒するに越したことはない

◎警戒するに越したことはない

 表題の続きの言葉は、「取り越し苦労ほど素敵なものはないからだ」と続く。

 何故なら、「気のせい」や「妄想」なら、その後で何も起きないということ。

 昨年のように、呼吸が出来ず酸素を吸っている状態のところに、スマホが勝手に「憑いた」「憑いたぞ」と叫び出すのを聞かずに済む。

 ちなみに、現実離れし過ぎると、その場では上手く認識出来ず、「AIの自動音声じゃねえか?」と思い込む。だが、自動音声に「しわがれたオヤジジイ」のモードは存在しないそうだ。

 

 ということで、この日も八幡さまに行った。

 前回は首から上が映っていなかったので、それが光の加減なのか、あるいは説明できない現象なのかを見極める必要がある。

 この日は、きちんと赤外線ライトを使って撮影することにした。

 赤外線+ガラスへの反射で、目視では見えぬものが撮影しやすくなる。

 ま、警戒する対象は幽霊全般ではなく、「黒いひと」「黒玉」「そっくりなひと」のように、死期の到来を告げるサイン(兆候)だ。

 

 昨年の二月から五月末までは、病状が悪く、短期間のうちに十四キロ痩せた。

 医師・看護師たちは、「今だから話せるけど」と前置きし、「かなりヤバイと見ていました」と言う。私も同じ病棟内の患者を幾人も見ているが、あの状況になったら、程なく入院病棟に移り、それっきりになる人が殆どだ。

 看護師の一人によると、「黒い影が出ていた」とのこと。

 これは首の後ろあたりの話だが、実際には影ではなく「生気を失い黒く見える」ということだろう。

 

 ともあれ、あの事態になる前に、なるべく早い段階で察知する習慣をつけることが重要だ。対処策を打ち出すには、それを考える時間や技が必要になる。

 八幡さまはあちこちにあるから、参拝するのは難しくない。

 ということで、参拝して、自身の姿が見えるように撮影した。

 

 赤外線ライトを使うと、目には見えぬ白い煙や人影が写ったり、あるいはそれとは逆に光を吸収する黒い影が写ったりする。おそらく正負の関係で、いずれかに強い反応があれば、画像に残るということだ。

 加えて、昨年と違い、今なら「触感」や「匂い」も判断材料に利用できる。

 一年以上も、しつこく付きまとわれたおかげで、少しずつだが感覚が進化し、見極めがつくようになっている。 

 

 私自身だけに関わることなので、特に解説もしないが、やはり警戒を怠ってはならぬ状況のようだ。それもその筈で、私本来の寿命はもう終わっているのに、まだ死なずにいるから、理不尽なことが起きるのは当たり前だ。 

 かたや、相棒が「傍にいる」という実感があるので、昨年ほどの不安や怖れを感じずに済んでいる。

 ま、黒い人影の方もイリス系の悪縁のようで、それなら私のことはスルーすると思う。もちろん、これまで通りなら、という限定符が付く。

 

 ちなみに、「黒い人影」は、傍にいる人が「息を凝らしてじっとしている」時の気配と同じ圧迫感がある。「お迎え」の方かと思いドキッとしたが、普通の悪縁の方なら、こころに怒りを吹き込むだけなので、きちんと認識すれば、浸食されずに済む。

 こういうのは、早めに見付けて、「この線から入って来るなよ」と釘を刺すだけでよい。ランナーの盗塁を阻止するには、視線を送り、懲らしめるぞというサインを出せばよい。

 

 

追記)赤外線撮影をすると顕著だが、私の体の周りに白い煙が出る。最初は二枚目の画像のような感じだが、これが大蛇のような形状になり、私の体に巻き付く。

(赤外線ライトでも幾らか写ることがある。)

 別のパターンでは、「白い煙玉が現れ始め、私の周りを飛び交う」、という場合もある。

 見る人によっては、「守護のしるし」だと指摘する人もいるが、そんな大それたものなら、「今の人事での苦労は何?」と問い返したくなる。

 ま、あの世とこの世の境目に立つ者であることは確かで、利用価値があるから、幽霊たちが走り寄って来るのだと思う。

(ここで、PCの全部のスロットが開いた。恐らく「そうだ」という返事だ。)

 

 私は「真・善・美」を崇拝したりはしないので、そこが幽霊たちに気に入られているようだ。

 他の人の目から見れば、「コイツは狂信的そのもの」の筈だが、私は信仰を押し付けたりしないので、そういう見方は当て嵌まらない。

 「コイツは妄想や幻覚を観ている」と判断すればよい。他人の肯定的な判断評価など何の足しにもならない。己の処置は、己で決めることだ。昨年など、医師の総てが、何ら以上の無い「心臓を治療しろ」と診断した。心臓自体に何ら異常がないのに、口を揃えて「治療しろ」と言う。要は「言うように仕向けている者がいた」ということ。 

 ま、殆どの人は、私が見えるものが見えないので、「イカれている」と思うのも当たり前だと思う。なら、そう思って貰えればよいだけの話だ。

 

 ほんの少し前までは、画像に頼って判断していたが、次第に目視の方が正確になって来た。他人にどう思われようと、死期を先送り出来ているのは事実で、それで使える時間が増える。

 

追記)次は、赤外線ライトでなく、赤外線カメラの方で撮影する予定。画像よりも、目視の方がはっきり見える。白衣の巫女は、私の周囲五㍍くらいの範囲で、左に右にと歩き回っていた。ガラス戸の私の後ろにその様子が映っていた。

 いずればっちり撮影できると思うが、表情はさすが「この世の者ではない」感がアリアリで、鳥肌が立つと思う。

 しかし、悪意はない。あればとっくの昔に私がどうにかなっている。