日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「未勘銭その他」続 その5~6

◎古貨幣迷宮事件簿 「未勘銭その他」続

その5)砂笵に意図的に加えた変化

 掲示の品は、時々、話題に出したり、盆回しに出品したりした品だ。

 盆回しの場合、売却ではなく「鑑定意見を求める」ことを本意とする場合がある。評価の一端が価格だが、値付けを見ればどう評価しているかが分かる。ま、対面の場合は、通常、「最落設定」があるので、手を挙げる人が少ないからといって、相場よりかなり安く落ちることはない。そこはネットオークションなどとは違う。

 さて、ここでの疑問は、背面の郭上に横引(「ー」)があるが、これはどういう経緯で出来たのか。

 型だけを考える者は、もちろん、収集の対象外で興味を持っていない。

 実際、反応、意見は無かった。

 たぶん、「たまたま、木屑が落ちたり、笵にヘゲが出来た」という先輩方の意見が頭にあるから、「本当は何か」とは考えないのだろう。

 ところが、鋳造工程上、「砂笵に木屑が落ちる」ことはない。実際に型場を訪れると分かるが、そこに木製の道具はない。砂型を入れる箱も焼き物で出来ており、木製の道具そのものが存在しない。理由は簡単で、溶けた金属を扱うので「木製では焼けてしまう」ことによる。強いて言えば、陶器の柄杓の柄に樫の棒を使うことがあるのかもしれぬが、樫は固いので細片には割れない。

 ロとハは「湯走り」「木屑」と言われる例だが、同じようなことが一般の鋳物に生じているケースを見たことが無い。

 もちろん、何万枚に一枚の可能性なら「ある」のだが、可能性は根拠にはならない。具体例の有無だけが証拠になる。

 宇宙人は「いる」筈だが、それを前提とする議論が出来ぬのと同じだ。

 イの場合、これが「郭の真上」の位置に、「概ね郭の横径と同じ長さに」、「ほぼ平行に」置かれている。

 こういうのは偶然の産物ではなく、意図的に「砂笵に描いた」と見なす方が、むしろ合理的だと思う。一万回、砂笵に木屑を放って、この位置におけるケースはあるのか?

 これについては、収集の先輩の中にも「意図的に記した」とする人がいるし、由来については「厄落としのため」だとする人もいる。

 この検証には、具体的な事実が必要なわけだが、これまで同型の品も、事実を記した書き物も出て来なかった。迷宮入りのままだ。

 

その6)通用銭改造母

 贋金を作るには、極力、既存の銭に似せて作る必要がある。この場合、既に存在する銭を素材にすれば、それと似たような規格の銭が作れる。そこで、通用銭の中から、比較的整った品を選び、これに研磨を加え、母銭とした。

 これが「通用銭改造母銭」で、通称は「改造母」と呼ばれる。

 作る手順によっては、本来の銭の形態から外れ、別の銭種に見えるように変化していくものもあるが、ここでは、削字や輪幅加工を加えぬ範囲に留める。

 改造の仕方は、1)銅銭用、と、2)鉄銭用とで、幾らか考え方に違いがある。

 これは、銅銭は溶銅を流し込んだ後、出来銭を使えるようにするための工程の違いによってもたらされる違いだ。

 1)銅銭には、穿に金属棹を通した上で、輪側を砥石で整える工程がある。このため、母銭改造の段階では、「穿内を整える」という用件が必須となる。また、バリの出るのを減らし、輪側研磨を容易にするために、輪を滑らかに整える。砂抜けを良くするためだ。

 一方、2)鉄銭の方は、鋳銭後に、原則として輪側加工を加えない。鉄は硬くて、研磨に手間がかかることにもよる。バリを鏨などで落とすと、そのまま使用に供する。

 この場合、輪を整えぬなら、穿に金属棹を通す必要が無くなる。一方で、出来た贋金を紐で括ることを想定するから、穿内への加工は軽度なものになる。刀を入れたりもするが、内壁が切り立つほどではない。

 以上は原則論だが、母銭であっても数千枚は用意するから、大量に観察すると、作り方に違いが出て来る。

 

 イは、穿内に刀を入れ、輪側に砥石をかけている(「輪穿鑢」)。概ね銅銭用だ。

 この流れでは、穿の加工が目立つケース(銅銭用)と、輪のみを縦に砥石をかけるケースがある(鉄銭用)。

 ロは、「面(表)側にのみゴザスレ加工を施す」ケースで、丁寧に外周を整えているので、母銭改造だと思われる。穿の方は軽いので、鉄銭用になる。

 ただ、周囲を削っている銭は、母銭改造だけではなく、単純に「金属材の削り取り」 であるケースがある。これは鑢で端を削り、銅粉を集めて、再利用するためだ。外周をゴザスレ型に削るのであれば、百枚差の中に入れた時に目立たなくなる。

 母銭改造したケースとの相違は、「雑に削ってある」ことだ。型が損なわれるのなら、母銭の用とには使えない。

 

 ハは明和俯永の転用例だ。僅かに細縁なので、輪側を削って整えた後に、輪外周をゴザスレ型に削ったとみられる。

 北奥の銭密鋳の産物だが、実際に使用したようで、全体的な劣化が見られ、谷には砂が付着したままだ。やはり山砂を利用したようで、砂抜けが悪かった。

 「ゴザスレ」状の加工は、むしろ「材料の節約」や「削り取り」を目的とすることが多いのだが、このケースに限っては、同時に「型抜けを良くする」という意図もあったのかもしれぬ。

 たまたま拡大して見たが、この俯永は、延展銭の俯永手瑕寶の型によく似ている。

 明和からの変化してゆく過程を埋める品になるかもしれんので、後で考察する。

 (続く。)