◎吉田牛曳
絵銭の銭種としての吉田牛曳は、かなり古いもので、寛永十七(1640)年以降に三河吉田で作られ始めたとされている。吉田はそれまで寛永通宝を作っていた地だったが、寛永銭を作らなくなった後に、厭勝銭(まじない銭)や玩具用として作られた。
江戸時代後期の古銭譜に掲載されているから、由緒正しい品であると言えそうだ。
それ以降、長く作られて来ており、今ではどれが古いもので、どれが新しいものかも判別が難しくなっている。
江戸期のものとそれ以降では評価もまったく異なる。
「絵銭は江戸物」で、古い品には風格があるから、それも当然である。
この銭種をさほど意識することなく取り置いて来たが、今回、そのうちの幾つかについて観察してみる。
①は製作がかなり古い。限りなく江戸物に近いと思うが、面の右上に「山型(く)」の打刻がある。偶然出来る傷とは違うから、何らかの意図をもって打たれたのだろう。
今ではその理由を知る由もないが、どことなく味わいがある。
②は南部写しであるから、幕末明治初年頃の作となる。赤い地金で砂目が粗く、素朴な味を醸し出している。
③の背「天明六年」は、銭種としてはかなり古い。もしこの江戸物があれば「お宝」のひとつだろうが、今見られるのは写しだけである。
この品も地金が若く、せいぜい大正から昭和くらいだろう。残念だ。
⑦大型吉田にも古いものがある。大型吉田の江戸物であれば、下値五万からスタートだろうが、やはり古鋳品を見る機会は殆どない。
この品も地金が固い印象だが、良い点は、黒漆が塗られた形跡があることだ。
通常、絵銭に漆を塗るのは「砂抜けをよくする」目的だから、すなわちその品を母型利用して、写しを作成したという意味だ。
実際、⑧以降はこの品よりふた回りほど小さくなっている。
絵銭コレクションとしてそれなりに評価できるのは、まずは①②だろう。
また、⑦は明治以降だが別の意味(母銭利用)で古道具的価値はあると思われる。