◎桜は満開(492)
例年、この時期になると、心が軽くなる。
私にとっての「嫌な季節」がようやく終わり、夏までは平穏な日々が続くことが多いからだ。
十月から三月までは、深夜、玄関の扉を叩く音が聞こえたり、ドアノブを「ガチャッ」と引かれたりする。画像に異変が起きるのも、この時期が最も多い。
こういうのが煩わしいから、秋冬のことは好きになれない。
北国の育ちだし、寒さや雪にはウンザリしているから、元々、冬は嫌いなのだが、異変が起きるようになってからは、余計に嫌いになった。
「でも、その季節も終わる。たぶん、七月までは普通に暮らせる」
そう言う間なら、心置きなく原稿を書ける。
いつもの神社に行くと、桜がちょうど満開だった。
花見の客も来ていたが、さすがに週末ほどではない。境内にチラホラ程度。
神殿の前では、「私自身が集中してパソコンに向かえますように」と祈願した。
もちろん、「死者たちが穏やかに眠れますように」とも。
人気が無くなるのを待ち、数枚ほど撮影した。
いつも通りなら、この時期は何も起きないから、気が楽だ。
遠景で撮影し、二枚目はクロズアップして写した。暗い神殿を拡大すると、自動でフラッシュが光るから、フラッシュの有り無しで比較出来る。
駐車場で開いてみたが、最初の画像では、私の姿が消えていた。私の立ち位置には、どやら女性が映っている。不鮮明だが、髪が胸まであるようなので女性だと推定出来る。
私はマスクをしていたが、この女性はしていない。
「ま、俺の本性が女性なのか、俺の前に立たれたか。そんなところだな」
数秒後に撮影したフラッシュ画像を見ると、どういうわけか、内門の下に人影があった。
マスクをした女性だ。
「おかしいな。あの場に人などいなかったのに」
ま、数秒のうちに階段を上がって来ていた、なんてこともあり得ないことではない。
ただ、私が気付かなかっただけ。
「もう春だし、異変が起きにくいはずだから」
そう見なす方が気分的にはずっとよい。
でも、その女性は後ろ腰に両手を回し、門の下に立ち止まって私を見ている。
そこまで歩いて来たという動作が見えない。
これという場所に立ち入ると、数秒から数十秒のうちに、私の存在は気付かれる。
そして、すぐに沢山寄り集まって来る。
で、そういうのは、そのまま後を付いて来る。
「やっぱり、俺が実在のひとを見逃していた、と思う方が気が楽だ」
気にし始めたら、その都度、いちいちご供養やお祓いを施さなくてはならなくなる。
駐車場を出ようとすると、何となく、知人のSさんという女性が「死んだ」ような気がした。
Sさんは七十歳近く。病棟の先輩患者だったが、隣のベッドだったから、時々、世間話をした。昨年、病気が悪化したのか、Sさんは専門病院に移ったから、その後の消息は知らない。
退院する時、Sさんは私の所にだけ挨拶に来て、「別の病院に行くことになりました」と告げて去って行った。
「直感の働くひとだったが、ついに亡くなったか」
私は生きている者に対しては気が回らないが、死んだ者の心情は何となく分かる。
おそらくSさんは二度目の別れを告げに来たのだと思う。