日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「背長銭の実際」

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さまざまな背長銭

◎古貨幣迷宮事件簿 「背長銭の実際」

 取り置き箱に寛永一文銭の背長が数枚入っていた。

 「なんでこれが?」

 寛永一文銭の中で、背長銭ほどつまらないものはない。

 まず、(1)とんでもない枚数を作っている。存在比率で言えば、5千万枚は下らないと思う。

 その先、どこまでの枚数があるのかは想像もつかないほどだ。

 一文銭が百枚あれば、必ずその中に何枚か混じっている。

 次に(2)変化に乏しい。面背分の書体がほとんど変わらず、分類のしようがない。

 さらには、砂抜けが悪く、美銭が少ない。特に裏面が顕著で、輪も郭もべらっと消失しているもののほうが多い。ちなみに、昔はそのことを「背夷漫」と呼んだが、今はあまり使われない。

 ともかく、背長銭は古貨幣収集家が、最初に取り除ける銭種のひとつだ。

 

 ところが、分類ではなく、「鋳銭過程論」の信者から見ると、背長銭ほど面白いものはない。

 まずは(イ)銅母銭の少なさだ。通用銭が膨大にあるのに対し、胴母銭は割と少なくて、好事家的評価(位付け)も高い。銅母銭の価格は最低5万はするのではないか。

 鉄瓶屋さんの職人に聞いたことがあるのだが、現代の作業工程で鋳銭を行うと、「ざっと1千回から2千回の間で母銭が摩耗して使えなくなる」と言う。砂のあしらい方によっては、そこまで持たないケースもあるとのこと。

 それなら、仮に5千万枚の通用銭を作るとすると、2万5千枚から5万枚の母銭が必要になる。

 収集家の蔵中にある背長の母銭は、おそらく数百枚程度内に留まる。母銭全体の1パーセント程度。他銭種に比べると、あくまで大雑把な推定だが、かなり比率が低い。

 次に(ロ)母銭の状態に比して、出来銭(通用銭)が見すぼらし過ぎることだ。

 通常の背長母銭を使用して、鉄銭ならともかく、錫味の強い銅銭があの出来具合だ。

 表側は割と出ているから、鋳造技術が劣るわけでもなさそう。

 等々、疑問の多い銭種と言える。

 

 たぶん、そんな疑問から、過去にこの背長銭を取り置いたのだろう。

 それでは、何が気になったのか。

 

 まず①は割合簡単だ。背の「長」字が鮮明に出ていることだ。前述の通り、背長は長字が出ていない銭の方が多く、大半が不鮮明だ。

 長が鮮明な品を探すのには、かなりの枚数を調べる必要がある。

 背長銭の中で、長が不鮮明なものと鮮明な者との存在比率は、20対1なのか、それ以上なのか。

 また、肉眼ではよく見えぬが、①の背長字は少しずれたと見え、足の跳ねが二重になっている。

 

 ②は①と比べると、目視でも分かる。顕著なのは、「穿に刀が入っている」ことだ。

 穿内を整えることの意味は、通常は母銭仕様にする作業工程のひとつ

 面背の谷も滑らかだから、研究の余地がある。

 おそらく、多くの収集家が、ここで「密鋳銭の改造母」を思い浮かべると思う。すなわち奥州で鉄銭を密造する時に、一般通用銭を母銭改造する目的で加工したものだ。

 ところが、大半の銭種が密鋳銭づくりに利用されているのに、背長銭は見当たらない。

 地方の収集家が血眼で探したが、「背長の鉄写し」は5年くらい前まで1枚も見つかっていなかった。(その後、見つかったかどうかは調べていない。)

 もしこれを見付けることが出来れば、おそらく、背長の銅母より高い値が付く可能性がある。

 何故、背長鉄銭が無いのか。それは恐らく、「銭種として選ばれなかった」ということだろう。

 存在数が多いので、目には付いただろうが、出来が悪すぎて「母銭に向かない」と判断されたのではないか。

 

 この辺、私は、通用銭の存在数からみて、こういう状態のものも「背長本銭の母銭」だろうと思う。

 製造方法は古寛永銭方式で、状態の良いものを加工して母銭とし、の繰り返し。

 だから、背長銭はあの見すぼらしいつくりになった。そう考えぬと、辻褄が合わない。

 

 ③は記憶にある。

 通常、背長銭の背は、内郭も輪もなくべらっと平ら(表面はブツブツ)なのだが、この品は、内郭も輪も割合きちんと見える。

 だが、「長」字だけがほとんど消失している。

 よく見ると、「長」字の痕跡が残っており、これが潰れていることから、「刮去」したのではないかと思えるほどだ。

 類品を探し出す必要があるが、背長→長刮去→背夷漫という流れになっているのかもしれぬ。

 

 さて、面白いのはこれからだ。

 ①から③を眺めて来たが、未だ確固たることは言える状況にはない。

 だが、①②③を並べてみると、さらに興味深い事実がある。

 それは、①<②<③の順に、銭径が大きくなっていることだ。

 ①が通常サイズなら、②や③は幾らかその前段階のものと見るのが普通だ。

 また、ここで、②は「砂が違う」か、「鋳浚っている」か、「谷の部分が圧迫のため平坦になっている」ことが分かる。

 この特徴は、要するに、いずれも「母銭として使用した」ことに関連している。

(終わり)

 

 このカテゴリー(古貨幣関連)では、推敲も校正もしませんので、悪しからず。誤変換や表現のおかしな箇所が多々あると思います。