



◎「加賀出来」の大迫駒引
画像は紛れもなく「大迫駒引」の意匠なのだが、この手のは「加賀出来」と称される。
地金は仕上げ方法は申し分なく、きれいな色合いになっている。
ただ、一目瞭然でこれが「真正品ではない」と分かるのは、サイズがあまりにも小さすぎることによる。
あるいは、当初より「本物ではない」ことを示すために、意図的に小さく鋳写したのかもしれぬが、今となっては確かめようが無い。
文鎮として使ったり、玩弄品として手元に置くには、申し分のない品だとは言える。
何故「加賀出来」と言われるようになったのか。
今でははっきりした由来も分からぬし、調べることに左程の意義もない。
本件とは関係ないが、かなり前に永楽銀銭の贋作が出回った頃のことを思い出した。ちなみに当時も本物、今でも本物で通っているが、全部偽物だ。砂目に時代が無く、「工法上、後で作った」ことが明白で、どこの誰の鑑定保証が入っていようが関係ない。時代的にあり得ない工法であれば、「ない」で済む。
たまたま埼玉北部の骨董店を訪れたことがあったのだが、そこに永楽銀銭が十枚くらい置いてあった。思わず「スゲーな」と声に出して言った。
さりげなく聞くと、これらの品は山梨とか長野方面から出たらしい。
そこで興味を持ち情報を集めてみたが、どうやらそこも中継地で北陸が源らしい。
北陸には「大陸との連絡のある港がある」ことを知り、そこで調べを止めた。
何となく「素性が分かった」ような気がしたということで、「どうせ買うことは無い」ので、「こういうのには立ち入らぬ方がよい」と考えたのだ。
古泉界の七不思議のひとつは、「氏素性をトコトン調べることをしない」ことだ。
どこから出たのか正確には分からぬ品がオークションや入札にまとまって出ることがあるが、「実際にどこでどういう風に出たのか」を知る人がまったくいない。
皇朝品の「出土品」なら、出土した地点を明記できるはずなのに、それを確認出来る情報がまるでない。
それでも、古貨幣には「工芸品」としての側面もあるから、見て「美しい」と思い、「時代ロマン」を感じられるなら、それでも良いと思う。
この加賀出来の絵銭は、割と高額で入手したが、かなり勉強になった。
こういう配合の地金と古色も「それほど難なく作れる」ということだ。