日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎古貨幣迷宮事件簿 「青銅色の寛永銭」

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青銅色の寛永

◎古貨幣迷宮事件簿 「青銅色の寛永銭」

 骨董や古銭の整理を再開することにしたが、さすがに気が進まない。

 これという物は、売却したり差し上げてしまったため、さしたる品が残っていないからだ。

 それでも、これまで五年以上の年月を掛けて整理を進めて来たのだが、ようやくそれにも終わりが近づいた。

 道楽者は「死ぬまで道楽を止めない」というが、生きているうちに一つずつ整理を始め、処分を完了する「数少ない者」にはなれるようだ。

 ま、それも単純に「死ぬと覚悟したが、ぎりぎり耐えて来た」というだけの話だ。

 

 この世界の笑い話のひとつにこんな話がある。

 ある収集大家B氏が重い病気になり、入院した。友人知人は「恐らくこれがB氏の最後の入院になるであろう」と噂した。

 そのB氏の収集仲間にK氏という、これも熱心な収集家がいたのだが、ある日、B氏がK氏に「病院まで来てくれないか」と連絡した。

 幾らか不謹慎ながら、K氏はきっとB氏が「私にはもう先が無いから、私の収集品を買ってくれないか」と依頼するのではないかと考えた。

 収集大家のB氏のことだ。総額では何千万になるか分からぬだろう。あるいはその上かも。

 そんな想像をしつつ、K氏はドキドキしながら、B氏の病室を訪れた。

 ベッドに近寄ると、B氏がうっすらと瞼を開く。

 「ああ、Kさん。よく来てくれたね。実は頼みたいことがあるんだ」

 K氏は心の中で「やっぱりそうだったか」と相槌を打った。

 B氏の具合が悪そうで、声が聞き取りにくいから、K氏は枕元に顔を寄せて話を聞こうとした。

 そこでB氏が言葉を続ける。

 「Kさん。私も残りの命が短いことだし、今のうちに頼みたいことがあるんだ」

 K氏が固唾を飲んで、次の言葉を待つ。

 するとB氏はこう言った。

 「Kさんの持っているあの品を、どうか私に譲ってくれないか」

 はい、どんとはれ。

 

 道楽に凝り過ぎて破産してしまうケースを除いては、死ぬ前にコレクションを手放す人はいない。「コレクター人生は25年から30年」と言われるが、道楽が過ぎればそれくらいで破産するか、あるいは加齢によりこの世を去るかのいずれかだ。

 

 脱線したが、今日の本題は画像のみすぼらしい品だ。

 これは二十年以上前に巾着袋ごと入手したものだ。

 袋を開けると、中身はいずれも青銅色、すなわち未使用の十円玉のような色をしていた。銭種は様々で、同じところで作られたものでは無い筈である。

 ところが、この寛永銭は、一様に薄く、青銅色か、あるいはそこから若干、黄色味を帯びた金色となっている。

 輪側の仕上げは、きわめて雑なものが多く、縦・横・斜めの線条痕が入り混じっている。ペラペラなつくりだから、あたかも日原銭のような印象だ。

 だが、本銭の面背と輪を削り、このように仕立て直したようにも思われない。

 銅銭の輪や周縁を削り、銅材を掠め取る場合には、多く「輪の縁」だけを削り取るのが普通である。

 

 先輩諸兄に見せ意見を聞いたが、結局、皆が首を捻るだけだった。

 これも結局分からず仕舞いで終わる。

 誰も知らぬ銭なら、相場が立たぬので、いずれこれと言う人に差し上げようと思う。

 どの世界でも同じだろうが、常識を外れたものが必ず存在する。

 面分に細かな相違があるものがあるから、「写し」もあれば、「削り取り」もあり、はたまた本銭でたまたま似たものも混じっているとは思う。

 以後二十余年に渡り、同系統の品を探したが、結局見つからなかった。

 この銭の出所は、秋田県鹿角の旧家である。

 

 備考)いつも通り、時間が惜しいので、推敲も校正もしない「一発書き殴り」です。

 字句等の不首尾はあると思いますので、その由お断りして置きます。