

◎古貨幣迷宮事件簿 「雑銭の話」(続き)
雑銭を何万枚と触っていると、いつの間にかある種独特の「勘」が働くようになる。
特に意識せずとも、「手に吸い付いて来る」ようにこれという品が「立ち上がる」ようになる。一枚一枚手に取って見ずとも、触った時に何とも言えぬ違和感を覚えるので、何気なく見ると、希少品だったり母銭だったりする。
たぶん、昔の収集家が分類を始めた時には、「製作の違い」が重要なファクターになっていたのだろう。「位付け一」の品を発見したことが幾度かあるが、つくり自体が違っていた。拓による型分類をベースに置くと、製作の違いに目が行かなくなる。
Oさんの遺品整理の時には、何万枚かの雑銭を分譲したが、袋詰めの時に、時々、母銭やら役付きの品が目に付いた。もちろん、それがあったからと言って、その品を取り除けたりはしなかった。Oさんは古銭収集の先輩であり師匠だったから、抜き取りなどといった「仁義を欠く」ような振る舞いをするわけがない。むしろ誰かが手にし、「あった」と喧伝して貰えば、雑銭全体が早く捌ける。
古寛永の名品などは、実際に眼にしてみると、地金や製作がまるで違うので、すぐにそれと分かる。その品が入った袋をメモして置き、果たしてどうなるかを見守ると、面白いことに、それまで根気よく十キロ単位で雑銭を買い続けた人のところにきちんと収まった。枚数を買っているから確率が高まる理屈だが、しかし、具体的に「この品」が当たるとは限らない。それなのに、そういう人のところに行くから、こういうのは「努力」や「人徳」とも関係している、と思った次第だ。
一方、手の上の小さいものを見続けていると、ツキは次第に落ちて行く。博打などでツキを使い果たすのとは逆の理屈だが、細部にこだわる者は、次第に大局が見え難くなるということではないか。ま、道楽なので、それも好き好きだ。
以上は、自分も関わって来たことでもあるし、収集家を貶めるつもりはなく、あくまで自嘲ということ。
古銭家で人格的に大成した者はいない。郷土史の収集整理に人生をささげた先達でも、古銭家は贋作者だという邪推をそのまま確かめもせず記録に残している。
「古銭家のケツの穴は、寛永銭の穴の大きさに過ぎぬ」と言うのは、調べもせずにものを言うところによる。ちなみに、実際の人間のケツの穴は、普段きちんと閉じているから、寛永銭より小さい。
さて、今は眼底出血があり、前がよく見えぬので、雑銭の梱包のやり直しを始めた。
三百枚くらいずつに分けて、メル※※あたりに出させるつもりだが、面倒なのでやはり大雑把な重量換算になる。
触っていると、手に吸い付いたのが「小さい文銭」だった。
違和感を覚えたのは、輪が少し削られており、結果的に小さくなっていることだ。
地金にも赤味が出ており、改造母や鋳写し母の可能性があるからドキッとしたわけだ。要は密鋳銭ではないかということ。
当四銭なら南部領だが、一文銭なら隣藩に一大ジャンルが存在している。
少し検討したが、目が見えぬのでどうにもならぬ。また、鋳浚い加工などは入っていないようで、本銭をほんの少し触っただけの可能性が高い。何らかの意図により、銭に手を加える例は割とある。
しかし、この袋は他とは別にして、後でゆっくり検分することにした。
所沢にあった品とは言え、中には奥州から運んだものもある。
今では私が買い取った品なので、好きなように検分できる。
注記)いつも通り、推敲や校正をしないので不首尾はあると思う。体調がイマイチの上、目もよく見えぬのが現実だ。