日刊早坂ノボル新聞

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◎実際に体験した「ちょっとだけ怖い話」 3)人形が声を上げる

実際に体験した「ちょっとだけ怖い話」 3)人形が声を上げる

 実際に体験した「ちょっとだけ怖い話」の続きになる。

 

 最近、次女が転職し、自宅通勤に替わって、一緒に暮らすようになった。

 この次女は、五六歳くらいまで、時々、幽霊を見ていた。

 幼児には、割とこの世ならぬ者を見たり、前の人生での出来事を憶えていたりする者がいるのだが、成長と共にその感覚は失われることが多いようだ。

 次女の場合は、時折、「家の中に見知らぬ男の子がいた」といったようなことを話した。

 ベッドに居る時に、部屋の扉を開けて入って来て、次女のことを覗き込んだそうだ。

 その頃、弟(息子)はいたが、まだ一歳にも達していない。

 

 幼児の頃、次女は一体の人形を可愛がっていた。

 金髪の女の子の人形だが、次女はどこに行くにもその人形を離さず、ずっと抱き抱えていた。

 四歳頃から六歳までは、必ずその人形と一緒に寝ていた。

 次女はその人形に「マリリン」という名を付け、部屋に一人でいる時にも、マリリンと何かしらの話をしていた。部屋の前を通ると、中から声が聞こえた。

 それほどマリリンに愛情を注いでいたわけだが、しかし、小学校に入学すると、少しく変化が生まれた。

 学校で新しい友達が出来、家の外で活動する機会が増える。

 最初はマリリンを連れて出ていたが、友だちにからかわれたのか、次第に家に置いて出るようになった。

 ベッドではなく、おもちゃ箱の中に人形を仕舞うようになって来た。

 

 そんなある日のことだ。

 私が娘の部屋に行くと、マリリンが部屋の隅に落ちていた。

 箱の中を探った時に、外に飛び出たらしい。

 そこで私は次女に言った。

 「マリリンは何年もの間、お前の大切な友だちだったじゃないか。もっと大切にしてやらなくちゃ」

 隅に落ちている人形を拾って、次女に渡した。

 次女は人形を手に取って、顔を覗き込んだ。

 すると、その瞬間、声が響いたのだ。

 「ままああああああ」

 私は目の前でこれを見ており、気が動転する程驚いた。

 私が人形を買い与えた当人だから、それがどんな人形だったをよく承知していた。

 念の為、次女からマリリンを借り、お腹を探ってみた。

 人形の中には、斜めにすると声の出る仕掛けを持つものがあるからだ。

 だが、マリリンのお腹は「綿」の感触しかしなかった。

 

 「おかしいな。確かに声を上げたぞ」

 首を捻ったが、どこを探しても声の出る装置が存在していない。

 この時、次女の様子を見ると、別段、驚いた様子がなかった。

 そのことで、「以前からこの人形が声を出していた」ことを知った。

 部屋の中で、次女が誰かと話をする声が聞こえていたが、あれは実際にマリリンと話していたのかもしれぬ。

 「うーん。参ったな」

 まるで、ホラー映画の「悪魔人形ジャンル」(『チャッキー』など)のような成り行きだ。

 

 だが、その後、「人形が廊下を走り回る」などと言ったホラー映画的展開にはならず、人形の声を聞いたのもその時一度きりだった。

 次女には「友だちだったのだから、大切に扱うこと」と命じたが、暫くの間、次女はその言いつけを守り、枕元にマリリンを置いていた。それからゆっくりと人形を離すようにしたと思うが、二年生の時にはマリリンの姿は部屋から消えていた。

 たぶん、ロフトに仕舞われた玩具箱の中に入ったままなのかもしれん。

 

 今も説明がつかぬのは、マリリンの頭がビニール製だったことを除くと、全身が綿人形だったことだ。

 声の出る装置など、そもそも中には付いていない。

 だが、「ままあああああ」の尾を引くような長い声は、今も記憶に新しい。

 現実に起きる「ちょっとした恐怖」は、怪談ドラマとしては、中途半端で尻切れだ。

 だが、悪影響が出ぬうちにささっと対策を打ち、障りを封じてしまうのが正しいやり方だと思う。

 

追記)「人型には魂が宿る」と言う。人形にしてみれば、自分を大切に思ってくれた次女が次第につれなくなり、顧みられることが少なくなったので、「寂しく思って声を上げた」と見なせば、「怖ろしい」というより「哀れ」に感じる。