日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「称明治吹増銭の仕様」

◎古貨幣迷宮事件簿 「称明治吹増銭の仕様」

 このスレッドは「古貨幣について結局分らなかったこと」を記録に残すもので、要は忘れ物整理のためのものだ。結論を報告する意図ではないので念の為。

 まずは思い出話から。

 三十代の時に会社を作ったが、国と地方公共団体が主要な顧客だった。

 このため、全国出張が頻繁にあり、月に数度は地方に出掛けた。

 そのついでに古道具店や買い出し業者のところを回り、骨董や古貨幣について「出物があれば頼む」と依頼した。このルートで連絡があるのは年に一度か二度。

 一方、ウェブの方で「買い入れます」と掲示すると、こちらはまだ業者の固定画面だけのサイトが殆どだったから、毎週三件から五件の申し込みがあった。

 ほとんどが記念貨や近代貨で、ウンザリするほどだったので、一二年でこれは止めた。だが、「しません」と掲示しても、次々に来た。この辺の経緯は幾度も書いた。

 業者ではなく研究のためなので、近代貨を買い受けても仕方がない。

 田舎の倉庫に入れていたが、損切りで処分を始め、大半を放出するまで二十年掛かった。

 穴銭の方は主に地方の業者か解体屋のルートのもので、まだ見ずに放り込んである品もあったようだ。昨日、小袋を開けると、密鋳銭らしき品が混じっていた。

 冒頭の二枚がそれだ。

 (1)はまったく同じ型を過去にも拾ったことがある。

 それこそ三十代の頃に青森のケネディさんの店を訪れ、「雑銭はありますか」と訊ねると、菓子缶ひとつ分の古銭を出してくれた。その時に一番上に、ピンク色の寛永銭が乗っていた。文政銭の新しいもののようでもあるが、印象が違うので丸ごと買ってみた。

 その寛永銭ははっきりした横鑢だったので、本銭には該当せず写しの類だった。

 それとこの品はまったく同じ型で、寶字の潰れも同一となっている。要は潰れは母銭の段階からあったということだ。

 安政銭のような横鑢なので、それに準じた装置を使ったことになる。密鋳銭としては珍しい。

 (2)の方は、小さく貧弱なので取り上げたが、あるいは今回の後述の銭の仲間かもしれん。鑢の掛け方が縦に双方向で、輪側が山形(蒲鉾型)に形成されている。

 背波が文政系統だが、どこか違和感がある。

 

 さて、ここからが本題だ。

 その頃、地方の買い出し業者から送られて来た差し銭があった。

 東北のどこからだったかは忘れた。そこは三十年以上前の話だ。

 「蔵出しの状態の良い品」ということで、一本が五千円で、枚単価が五十円だ。これが五六本あったのではないか(忘れた)。蔵出しが事実なら、むしろ安い方だ。現地に行き、立ち会う手間暇労力を考えると、かなり安いと言える。きちんと言葉の通り蔵出しかどうかは信頼関係による。

 古道具屋の場合は、知人の収集家からクズ銭を買って、員数を揃えられる場合があるが、買い出し業者の場合はそんなことはしない。面識があり、幾度も訪問して、人間関係が出来ているので、ただのフリーの客とは違う。

 「古銭は金を出せば買える」と思うのは大間違いで、何年もかけて幾度も訪問して人間関係が出来て行く。この辺は収集家が最も下手なところなのだが、こちらは人に会うのが仕事の一部だった。

 さて、その時に送って貰った差し銭を見ると、あんれまあ、総てが称明治吹増銭だった。

 明治吹増銭は記録はあるが、現物との照合が難しい銭種で、過去には「文政銭と同じ」と見なす収集家もいた。今の共通見解がどうなっているのかは知らぬが、未使用の差銭を見ると、実際には「似ているものもあるが、はっきりと文政銭ではない仕様のものもある」という構成だった。

 称明治吹増銭の特徴のひとつは「輪側が蒲鉾型の形状」、すなわち角を削り落としたようなかたちになっていることと、面背にぶつぶつの鋳溜まりが出来やすいこと。さらには、古色が文政銭よりも暗い色(黒褐色)になりがちであることなどの点が指摘されている。だが、文政銭にそっくりな仕上げのものもある。

 この時の差銭を、きちんと現状保存し、銭種や特徴を記録すれば、五六百本におよぶ大量観察手法であれば、何らかの見解が得られたかもしれぬ。

 だが、私はその当時から密鋳銭にしか興味が無く、それ以外は殆ど見ずに他の人に渡していた。不要な品は順次処分しないと、資金が続かない。

 そこで、古銭会や入札などで処分したのだが、「明治吹増は文政銭だ」と主張していた人もそれを買っていたから、言動が不一致だった。

 ちなみに、銭種の大半が小字で、あとは俯永が少々。離用通が四五枚で、大字が一枚だった。大型で見栄えの良い品もあり、明らかに文政とは違うつくりだったので、俯永でも五千円以上で売れた。離用通のことは忘れたが、大字は三万を超えて競り上がったと思う。現物がないので恐縮だが、文政銭とは似ても似つかぬ品だったから、あるいは明治吹増でもなく別の銭種だったかもしれぬ。

 

 後段の画像は、その時の残りになる。売れ残りなので、要は「差し銭の中で文政銭に似たつくりの方」の品と言うことになる。

 輪側が縦鑢の品は、実際のところ文政銭と外見上の違いはあまりない。

 輪側が山形(蒲鉾型)の品は、たぶん、粗砥を縦に双方向に走らせたものではないかと思うが、角が落ちている。

 輪側の処置を殆ど施していないものもあるのだが、こちらは文政か明治吹増かと言うよりも、密鋳銭の仕様に近いと言える。

 

 最後のM5については、金質自体はむしろ明和のそれに近いようだ。

 だが、型自体は文政系統で、小さく薄いので、触った時に違和感がある。

 今回は単に「こういうことがあった」との昔話になる。

 古銭全般に手を出さなかったのは、「収集は道楽のひとつに過ぎぬため、あれもこれもと手を出すのは、むしろ貧乏くさい」と思ったからだ。

 「琴もやれば三味線も弾きます。踊りも踊れば太鼓も叩きます」

 こういうのを器用貧乏と言う。道楽はいずれかひとつで良く、ひとつをトコトンやり、その他は他の人に渡して楽しんでもらった方が、結果的に世界が良く回る。

 いずれにも通じるオーソリティは不要で、一部「大家」の存在は一般の者の「退化」を招く。

 

注記)使える時間が少ないので推敲をせず、眼疾があるので校正をしない。日々の日記程度と見なされたい。