◎古貨幣迷宮事件簿 「取り置き箱より」
日によって調子の良し悪しがあり、「何時までに何を」の目算が立たない。
その辺は、既に十年以上前から「会議・会合・飲み会には出ない」「冠婚葬祭も親の葬式だけ」と宣言している。何か約束をしたところで守れぬし、いざ守れぬとなったら、こちらの状況を顧みず先方は文句を言うだろう。そしてそのことで私が腹を立て、「天罰を当てよう」とする。最後のが一番怖い。そのうち出来そうになる気がしているからだ。
ま、諸事、やれるように進めるしかない。現状でも机に向かえるのは四十分程度だから、出来るのは書き殴り程度。
さて、納戸と外の道具入れの奥から、また出て来たのだが、多くは雑銭や、取り置き箱だ。後者は何か理由があって、留め置いた品が入っている。
思わず手が止まり、「これは果たしてどういう理由で別にしたのか」と考えさせられる。
イ)藁解けの寛永銭
元は差銭だったが、これを解いて半分を抜き取った後の銭だ。
僅かに記憶が残っているが、従前は「明治吹増」と分類される型が多く含まれていた。
1)地金はほぼ文政
2)輪側は縦鑢で、蒲鉾型
3)面背の研ぎが浅く、砂目が多く残る
みたいな特徴があるわけだが、ぴったりこれと一致する美銭だけを本会の盆回しに出してみた。
文久銭なども混じっていたが、縦鑢の品は「紛れもなく文久本銭とは別種」なので、下値三千円くらいで出してみたが、割と競り上がって強い値がついた。
ここに残っている文久銭は、地金こそ茶色だが、輪側が横鑢と斜め鑢。横鑢の方は「本銭が混じった」と見なす方が自然だ。だが、この銭の混ざり方自体に解法が隠れているから、全銭を詳細に点検すべきだった。
ま、私は古貨幣全般に興味があるわけではなかったから、当四銭は輪側の鑢痕だけを見て、斜め鑢のものだけを抽出した。
ロ)文政小字の工法
奥州銭以外については興味が無く、また型分類もやらない。
だが、「つくり」ひとつとっても文政銭はみるべきところはありそうだ。
取り置き箱に入っていたのは、四枚のうち④の品だ。
全体的に砂笵の崩れが目立つが、この場合、谷の部分だけえぐれることは無いから、「通」字の右横の隙間が大きいのは、何らかの加工の結果である可能性がある。
近似したものを系統的に並べてみると、③と④はよく似ている。
ただ、「寛」字の上にも隙間があり、内輪に歪が生じていることから、加刀修正を入れたかもしれぬ。
文政銭で不思議なことは、「面刔輪」「背削波」などと言った修正加工で、きれいな母銭を山ほど持っていたのに、わざわざ見すぼらしい母銭に手を入れてまで作ったのかどうか。古銭書にはあれこれ記していると思うが、情報の出所を明記したものは少ない。
「古銭の由来は市場に出てから作られる」きらいもあるので、注意が必要だ。
かなり前に細分類の報告がなされているそうだから、それを手掛かりに探ってみるのも楽しかろうと思う。実際、「文政銭だけ」のリクエストが時々入る。