◎古貨幣迷宮事件簿 「結局は分からずじまいに」
掲図の品は、かなり前に大舘の古道具屋で入手した寛永銭だ。この巾着袋に入っていた。
ひと言で言うと、「変な品」だった。
特徴は、総てが一本調子の「ペラペラ」で、一様に青銅色をしている。
銭種が多岐にわたっているのに、ほとんど同じ厚さで、普通のものより薄い。
例えていうなら、かつての「日原銭」をイメージすると分かりよい。
持ち帰って、NコインズのO氏に見せたが、「さあ、見たことのないお金だが、面白いね」とのこと。
何か意図があって、こうしたのだろうが、その意図が分からない。
1)意図的に面背を削り取った。これは飾り物職人(か鍛冶屋)などが素材調達のために行うケースがあったようだが、輪周に沿って削るのが普通だ。銭の価値を減じられるくらいなら、丸ごと潰す。だが、見た目は雑なことがほとんどだ。
2)こういう銭を作り直した。これは日原銭に似たケースだ。宗教用など何かしら用途があった。
とりあえず「古色を見よう」と思い、四半世紀ほど経過した。袋に入れたままだったが、半分以上に古色が着き、普通の銭の色合いになって来たものもある(ただし薄い)。
同系統の品を持つ人に「いつか行き当たるだろう」と考えたのだが、ついぞ巡り合わなかった。確かに単品で一枚だけ見たのでは気付かない。
長く悩まされたのは、書体の違う銭種があったことだ。これは2)のように作り直さねば出来ない筈だが、現物をどこかに紛失してしまった。
今では、「1)だったり2)だったりと、用途に合わせて規格化した」のではないかと考えたりするが、解明しないまま終わることになる。
ちなみに、中国銭も混じっているが、これは到底、本銭ではないようだ。
ま、誰か頑張っている若者にあげようと思う。
「あんたが解明してくれ」
これは昔、先輩に言われた言葉だ。宿題を与えられるのは、負荷が掛かるから、真面目な者には案外キツい。
ちなみに、大舘なので、今は秋田県だが、藩境で言えば盛岡藩領内だろうと思う。
貧乏な者が、僅かなりに銅材を集めて故買屋に売ったのかもしれん。
当初は「薄くて真っ赤(未使用の十円玉のよう)」だったので、かなりの迫力(または違和感)があったが、古色が着き始めると、徐々にテンションが下がって来た。
かつては真ん中の画像よりももっと鮮やかな赤色だった。
(「いつ」「どこで」は朧げな記憶によるものなので、もはやあやふやだ。体を壊してからは、記憶も心許ない。)