日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「未勘銭その他」その7削り取り寛永 その8補足

◎古貨幣迷宮事件簿 「未勘銭その他」その7削り取り寛永 その8補足

その7)削り取りの寛永

 もはや三十年近く前のことだが、鹿角郡で雑銭を入手したことがある。

 巾着入りの雑銭で、中は概ね寛永銭だった。

 ところが、この寛永銭の様子がおかしい。どの銭も薄く、平べったい。

 面背の表面を削り取ったら、こんな風になるのかと思ったが、しかし、地金色がどれも同じで「未使用の十円玉の色(青銅)」だ。銭種は百種近くあったから、地金の配合が違っているのが普通だが、一様に十円玉だった。

 既存の銭に似ているので、銅材を盗み取るために削ったのかとも思ったが、しかし、書体に著しい変化が生じているものもある。密鋳銭の割には、癖が少ない。

 困り果てて、先輩諸兄に見せてみたりもしたが、先輩方の答えは「よく分からない」だった。NコインズOさんも「これまで見たことが無い」とのこと。

 一枚二枚が雑銭に混じっているならともかく、数百枚が集まると、とにかく異様に見える。

 とりあえず、新種らしき品は別に取り置いて、他はそのまま巾着に入れたままにして置いた。幾度かネットに記事を晒して見たが、まったく反応がない。

 とりあえず、赤くてペラペラしたつくりなので、「鹿角の赤ペラ寛永銭」と呼んでいた。

 

 巾着入りの銭は、総て一文銭だったが、その後、当四銭もあることに気付いた。

 雑銭の中に、数枚混じっていたりするが、両面または片面を強く削り取ってあり、とにかく薄い。

 背面が完全に消失しているものもあるのだが、面側を削ってあるところを見ると、密鋳銭の厚さ調整を試みる時のやり方とも違う。

 ちなみに、面側はかるく整え、裏側を削り落としたものと、それとは逆に、面側を削り落とし、裏側を整えたものを貼り合わせ、厚さの規格を直すケースがある。通常は鋳う写したうえで、削字を施し、谷を鋳浚うことで、母銭を作り直す。

 削字を施す工法の代表例が「踏潰」銭で、施さぬ工法なら「延展」銭となる。

 各々のオリジナリティは、工法から生じたものだ。

 

 しかし、「赤ペラ寛永」はそのような用途とは思われぬ風貌だ。薄く見すぼらしく、見劣りがする。何か別の理由があって、ペラペラにしたのだろう。

 二十年以上、考えさせられたのだが、近年になり、ひとつのことに気が付いた。

 それは「これに似た銭種がある」ということで、いわゆる「日原銭」がそれにあたる。

 日原銭は鍾乳洞の中で発見されたが、お金として作られたものではなく、加持祈祷用の銭型だ。要するに、「まじない銭」ということだが、それなら通貨としての姿に近付ける必要はない。

 薄くする具体的な理由は分からぬが、1)銭の表面を削る、または2)鋳写しして薄い銭型を作る、という二つの手段で回数を揃えたようだ。

 残念なことに、書体変化の著しい品を別にして取り置いたのだが、その置き所を忘れてしまった。

 おまけに、赤ペラ寛永数百枚も、このところの整理中に、姿を消した。

 手本が残っていれば、この先、比較検証が可能になったのだが、果たして見付けることが出来るのかどうか。

 いずれにせよ、「山岳信仰」に関連したものだとは思う。

 

 その8)は、前回の「面のみゴザスレ」の俯永に関する調査内容を示す。

 銭の数か所に「延展銭俯永手瑕寶」と同じ特徴があるように見える。

 明和俯永からこの銭種に至る途中で、様々な亜種が生じている筈なので、丁寧に探せば、銭群の全貌が明らかになって行くと思う。

 現段階では、まだ結論は出ない。

 

注記)自由に使える時間が乏しいので、数十分で一気に書き殴っている。推敲も校正もしないので、不首尾はあると思うが、これ以外に選択の余地がない。