日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎古貨幣迷宮事件簿 「未勘銭その他」 その3)金属型による銀銭

◎古貨幣迷宮事件簿 「未勘銭その他」 その3)金属型による銀銭

 永楽銀銭の話の続きになる。

 鋳造法の特色について、あれこれ実践して調べて来たわけだが、たまたま中国人の知人を通じて、中国の故宮博物館の元研究員で、「今は共産党の文化委員」だという人物と繋がりが出来た。

 直接の知人は、日本で会社を経営する中国人で、この人の方は彼が若い頃からの知り合いだ。

 元が北京空港の職員なので、貿易や通関について詳しく、旅行社を経営しているから、入国管理等について人の動きにも関わっている。

 その筋から、文化委員氏の繋がりが出来たらしい。

 文化委員氏は、個人で博物館を建てるという志を有しており、その費用捻出のために、「中国の美術品とか古貨幣を売りたい」と言う。骨董品の輸出には制限があるが、まだ罰則が出来るかどうかの時期のことだった。

 予め画像が送られて来たが、総て国宝級の品だったので、私は本気にしなかった。

 さすがに「これを持ち出すのはリスクがある」と思ったのだ。

 二十五年は前の話で、中国が今のような経済大国になる前の話だ。

 条件的に「現地で請け払い」というものだったので、リスクも高い。通関の際に止められれば、そこで品物が取り上げられるかもしれぬし、ことによっては逮捕されるかもしれん。

 だが、知人によると「そんなのは平気だ」と言う。「空港の裏事情に詳しいから幾らでも通せるし、持ち出しなど簡単だ」と言う。

 それでも、日本で売れば数千万の磁器が、ことによると数百万で買えるかもしれぬ。

 鑑定番組に出る品とは違い、事実上、故宮博物院の蔵品ということになる。

 ちなみに、かなり前には「大連の骨董商で」「上海で」買った品を鑑定に出す人がいたが、空港で持ち出しが出来た時点で「土産物」という判断が為されていることになる。本物にはそれに応じた手続きが必要だったし、禁止法が出来てからは罰則まである。

 

 当時は古貨幣については、特に制限が無く、知人が現物を運んで来たから、それを一二度買ったことがある。枚単価が千円だったから、普通の北宋銭であれば大損だ。

 だが、中には面白い品が混じっていたので、言い値で引き取った。

 草書の大観通寶とか孝建の手替わりなどだったが、草書の大観は、試鋳段階の品と実際に通用段階の品と二種あった。孝建の方は十数種ほどだったが、銭譜には掲載されていない品だった。

 この現品は、収集家に見せた際にブックごと持ち去られた。

 「文化委員から買ったもので日本には存在しないもの」と説明した筈だが、それを聞かずに、私の具合が悪そうなのを見てかっぱらって行った。

 だが、外に出し見せれば、それが直ちに窃盗の証拠になる。そもそも「日本には一枚も無い品」だからだ。ま、それなりのあたりはついているので、じっくりと模様眺めということ。その時は「ああ、ここにあったのか。ずいぶん旅をしたもんだ」とはっきり言う。鑑定は簡単だが、見たことがない筈なので、先方から品物の説明を受けた私しか鑑定できないと思う。何せ同型のが日本には存在していない。

 

 脱線したが、その中国人の知人を通じて、「古銭村」に発注を出すことにした。

 「街道筋の永楽銀銭」の由来候補が大陸だが、大陸の鋳造法は今も主流が「金属型」で、日本とは違う。今の製法なら、「数回で壊れる」こともないらしい。

 だが、その金型を作るのに少なくとも十五万から二十万は費用がかかる。

 「何百枚かつくるなら、一枚単価を下げられるけど」と言われたが、複製品を作ること自体が目的ではない。

 検証目的なら、「何をどういう風に」が分かれば、製造枚数は一枚で足りる。

 そして、実際に発注して出来て来たのが、画像の品だ。

 ここで使った母銭は普通の通用銭で、これもそのまま返されて来たが、銭径がほとんど変わらない。知人によると、「寸法などは幾らでも調整できる」とのこと。

 「写し=小さい」という発想がもはや通用しなくなっている。

 

 ちなみに、永楽銀銭では「あんまり」だから、手元にあった別の銭種を使ったが、この銭種も実際にあるものらしい。この辺は、鐚銭関係については詳細を知らない。

 ただ出来が悪い分、表面を劣化させると、鐚銭に近くなりそうではある。

 この五年十年の範囲で、銀製の複製品が多々作られているが、それとは違って見えるのは「製法が異なる」ということに尽きると思う。石膏型で作る場合は、型取りの際に母銭をなるべく長く入れたままにしておくと、型自体の縮小度を下げることが出来る。

 ゆっくり乾燥させればなお出来が良くなる。だが、極端に言えば、「一枚ずつ作る」ことに近づくことになり、現実の貨幣製造のやり方とはまったく違うものになる。

 前述の通り、「きれいで見事な品」を望むのは、現代の収集家であって、通貨として作る時の主眼ではない。丁寧にやればやるほど遠ざかる。

 金属型製法の工程で、よく分からぬのは「輪側の処理」で、グラインダを当てた形跡がない。

 だが、砂型と異なり、粘土型や石膏型はバリなどが出にくいので、鑢を当てず、磨布で擦るだけで滑らかになるのかもしれぬ。

 ちなみに、作ったのはこの一枚だけなので、原価は二十万円を超える。

 もし売るなら、本物に近い値段になる(w)。参考品を本物値段で買う者はいないので、もちろん、検証意図だ。

 私が死んだ後、雑銭に紛れて世に出る可能性はあるが、その時には劣化が進んでいるだろうから、鑑定には少しの知識がいるだろうと思う。

 ま、型(分類)だけでなく、冶金や鋳造法についても幾らかは学ぶべきだ。

 

 この後、収集家の集まりに出ず、会うことも無いのだが、眼に触れる機会があれば、でっかい声で「これはこういう手順で作ったものだ」と叫ぶと思う。真贋は知らぬが、作り方だけは正確に言える。何故なら作ってみたからだ。

 天正通寶なども時折、まとまって世に出た。四枚は買って見たが、銀錆ひとつ付いていない。DMSで谷の底を見ると、銀銭には必ず、酸化・硫化などの腐食が入るのだが、それも無い。

 銀製品を空気にさらすと、概ね半年でトーンが入るが、最初は表面に薄くかかり、時間の経過と共に「窪んだ所(谷)」に深い劣化が生じる。

 平成になり、ある銀板がまとまった量で世に出たことがあったが、谷に劣化がまるで無いので、その当地に住むH山さんに直撃したことがある。

 「これは作ってから三十年も経っていないですよね」

 谷の底までツルンとしており、黒ずみさえも無いのだ。トーンは表面だけ。

 文字極印の方は現物が残っている。

 すると、H山さんは「これはドコソコの工場で作ったものだよ」と明快な回答をくれた。だが、数年後にある集まりに出た時には、H山さん自身がそれを本物として売っていた、というオチがある。

 誰一人として真贋の区別がつかなければ、もはやそれは本物だ。

 「収集家にとってDMSが必需品だ」というのはそこなのだが、型にしか興味を持たぬ者には、ほとんど意味がない。だから一人として買ったものの話を聞かぬ。

 一方、製法や線条痕、金属の劣化を観察しようとする者には、かなり使える兵器だ。

 よく分からぬ状態では、売り手に言われるまま買わざるを得ないのだが、分かってしまうと、それに応じた評価になる。私自身のコレクションについても、高額で入手したものを、それなりの評価に下げた。いずれまた本物に化けるかもしれんが、もし私が生きていれば、すぐに指摘すると思う。当たり前だが、こういう媒体には書かぬ特徴ももちろん、押さえているわけで、決定的な勘所は文字テキストに残したりはしない。

 贋作者がそれを参考に「勉強のために作る」からだ。大体は百枚に及ぶ。

 知らんままで売りに出した方が目減りが少ないわけだが、見て判断を下した以上はそうは行かなくなる。

 収集家は他人の持ち物に品評をせず、「結構な品です」と言うだけだが、収集家でなくなると、人間関係に配慮する必要が無くなるから、今後は見えたままを言えるようになった。もちろん、最後には今流行りの「知らんけど」と足しておく。

 最後に格言をひとつ。

  「銀銭を 作る阿保に 買う阿呆」

 同じ阿保なら、調べにゃソンソン。

 だが、逆説的なようだが、古貨幣はそもそもがファンタジーの世界だ。

 品の価値は、その品を見て満足感を覚える者が決める。

 モナリサの絵をダビンチが描こうが、他の誰かの模写であろうが、それを観て満足できるのであれば、それでよい。

 最後は毒で締める。

 

追記)文化委員氏から送られて来た画像のうち、当初から対象外だったものの画像が残っていた。このほかでは宋の白磁や唐三彩などで、画像自体を別に解析しかなり検討したが、リスクの方が大きいと見て交渉を取り止めた。

 後で、本人が来日した折に、知人から「案内を手伝ってくれ」と頼まれたが、その当日にはこちらの本業の打ち合わせが入っており行かなかった。だが、紛れもなく、本物の党文化委員で、党主席のお墨付きだった。古銭は数百枚買ったが、総て本物で日本にはない品が含まれていた。後になり、「顔見知りになって置けばよかった」と後悔したが、これこそ後の祭りだ。

注記)一発書き殴りであり、推敲や校正をしない。記憶違いや正確さを欠く部分もあり、誤表記もある。あくまで日々の感想を記したものと言う範疇だ。