日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「流通を目的とした贋金」

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通用贋金(袁世凱壱圓)と日本の円銀(本物)

◎古貨幣迷宮事件簿 「流通を目的とした贋金」

 このスレッドは古貨幣に関する「迷宮(よく分からぬままのこと)」と「事件(出来事)」に関する記憶を記すものだ。

 あくまで日記であり、覚書の範疇に過ぎぬ。これが前提だ。

 よって、未解決の疑問についてそのまま記す。古貨幣そのものについての「確からしい情報」を記すものではないので念のため。

 

 さて、冒頭の画像は中国の壱圓銀貨だ。贋金なのだが、本物がトレードダラーとして使われていた頃に作られた贋物で、いわゆる「通用贋金」の類になる。

 特徴についてあれこれ記すのは、貨幣収集家のすることなので、私は周辺の出来事について実体験を記す。

 

 この件は幾度か同時進行的に記した。

 かなり昔、雑銭の会HPが唯一の可動ウェブサイトだった頃に、私の事務所からさほど遠くないところにある会社から連絡が入った。

 その会社は建設会社だったが、フィリピンで工事を請け負っていた。

 基礎工事を打っている時に土中からドラム缶が出たので、その中を検めると、「中に大量の銀貨が入っていた」。それを見て欲しい。そんな用件だ。

 こんな面白い話はない。

 そもそも会費無料のコインの会を作り、自社サーバでウェブサイトの運用を始めたのも、そこでしか得られぬ情報を集めるためだ。収集そのものについてはどうでもよく、狙いはこの手の「生の情報」だ。「蔵を開けてみたら」「金庫にこんなものが」「墓地からこれが」という性質の一次情報が知りたい。

 誰も知り得ぬ情報を押さえてしまえば、その後は思うがままになる。

 

 その現物を見せて貰ったが、総て鋳造品だった。ちなみに画像の品はその時の品ではない。出土品は各国のトレードダラーだった。

 その由を担当者に伝えると、やはり少しがっかりした模様だ。

 彼の国で土中から「お宝」が出たとなると、すぐに思い浮かぶのが「山下財宝」だからだ。山下奉文陸軍大将は蘭印方面を中心にアジア諸国から財物を挑発し、タイ経由、フィリピン経由で運ぼうとした。

 そもそもドラム缶で幾つかの規模で「銀貨」類が出たとなると、民間規模の振る舞いではない。何万枚、何十万枚の数になる。

 だが、中の銀貨はおそらく通用贋金だ。

 ここからは推論になる。

 もし、偽銀貨だけが地中に埋められていたとなると、恐らく廃棄財だ。

 本物の方は別にされ、運ばれたが、偽物は捨てられた。

 そんな流れになる。

 ひとまずは大戦当時の徴発品に関連していた疑いがある。

 これに関連するのは通称で「山下財宝」と呼ばれる日本軍関係の事績になる。

 

 もう一つの推論は、その日本軍の残した遺物に地元民が関与したものだ。 

 フィリピンの某地方には、私の親族が住んでいるのだが、そこには「山下財宝」に関する風評が残っている。

 F.マルコスは山下財宝の所在地を知ると、軍を動員し、現地で労働者を集め、実際にそれを掘り当てた。すぐにそれを米軍基地を経由し米国に送った。

 これが彼の個人資産の基盤となり、大統領就任後に堅固な独裁体制を布くことが出来た。この時に搔き集められた現地の労働者たちは、仕事が終わっても帰っては来なかった。この多くの男たちが「帰って来なかった」という事実で、逆にマルコスが「掘り当てた」ことの状況証拠のひとつになっている。

 皆殺しになった疑いが高いが、それでも、軍人や僅かに生き延びた者たちの口により、幾らか情報が漏れる。

 その時に出た財宝の内容などが、伝説として伝わっているようだ。

 

  フィリピンに送られた財宝にはシンガポール経由の物がある。

 中核は金で、その中心は金塊(延べ棒)だ。シンガポール銀行の刻印が打たれている。

 日本軍は整理のために、その金の延べ棒一つひとつにさらに刻印を打った。

 よって、それが日本軍が関係したものかどうかは、軍が打刻した刻印を見れば分かる。

 日本軍関係の「金」と言えば、地金型コインの形状をした品がたまに市場に出るわけだが、そもそも金塊をコイン型に打ち直す必要性はない。金は地金で価値が認められているからだ。かたちを変えずとも現金と交換できるし、小口で使用する意味もない。

 だが、面白い事実がある。

 その日本軍の財宝たる「コイン型」の出所は、概ね米国内だ。

 マルコスは失脚し、ハワイに亡命し、その地で死んだ。その後、夫人は米国本土に移ったが、そこには莫大な富が蓄積されていたと言う。

 あくまで風説に過ぎぬのだが、「マルコスが米国に送り個人資産とした」話に繋がっている。

 信頼を置ける情報は僅かなのだろうが、断片的に符合するような事実が見え隠れする。

 

 画像は概ね「通用贋金」と思われる中国袁世凱壱圓銀貨だ。恐らくタングステン合金を使用しているので、銀に見られるような劣化が生じない。

 割と巧妙なのは、最初の一枚には荘印が打たれていることだ。

 「荘印がある」=当時流通したものと早合点するのは禁物だが、「流通させようとした」のは事実かもしれぬ。

 面白いのは、銀を含む品が散見されることで、こちらは手触りや質感が本物に似ていたりする。

 うっかりすると見落とすかもしれぬ。

 

 かなり昔、都下Oコインを訪ねると、ケースの中にそんな類の貿易銀が置いてあった。大陸から多数の円銀が還流して来た時代のことだ。

 店のオバサンに「これは偽物だよ。鋳造製だもの」と伝えると、「でもこれは銀だよ」との返事だ。

 「たとえ銀でも、この貿易銀には覆輪がしてあるけど」

 輪だけ普通の品よりも太くなっている。すなわち鋳写すと型が小さくなるからこれを補正しようとした品だ。

 わざわざ銀で作るところを見ると、通用贋金ではなくコレクター向きになる。

 「日本人がトレードダラーを高く買う」ことが知れたので、それ用に作った、ということだ。

 今、思い出すと、逆に「覆輪してある貿易銀」は好事家に向いた品かも知れぬ。

 何せ、雑銀貨なら本物よりも当時の通用贋金の方がはるかに評価が高く、専門のコレクターもいる。

 

 さて、学生の頃、タイのチェンマイから数時間かけてジープで移動し、山岳民族の村を訪れたことがあるが、虎の出るような山の中に観光客用の小さい売店があった。

 そこに立ち寄ると、各国銀貨の偽物に混じって円銀が置いてある。

 錫合金の偽物なのだが、「こんなところに」という意外性が気に入り、それを数千円で買った。錫合金の偽物だけに原価は千円以下で、日本人か中国人から仕入れたようだ(笑)。

 その時、タイ人の学生がそこに案内してくれたのだが、「何故わざわざこんな山の中まで来て日本の物を買うのか」と驚いていた。

 それを得る理由は「もの好きだから」「面白いから」ということだが、こういう「もの好き」までいるわけだから、世に贋金が尽きることは無いと思う。

 

 ちなみに、銀貨の真贋鑑定は、「まず最初に材質」で銀の配合を比重計で確かめるとよい。だが、難点はその比重計が十五万円くらいする装置だということだ。

 近代貨コレクターなら入手するだろうが、あまり関心の無い者は、年に幾度も使わない。

 ま、マイクロスコープで表面を観察するとおおむね想像はつく。こちらは数千円で入手可能だ。 

 

注記)日記であり、一発書き殴りで、推敲も校正も配慮もしない。その範囲の雑文だということ。

注記2)金の延べ棒に「日本軍が打ったという刻印」の内容も分かっているが、これは絶対に口外しない情報だ。刻印だけに後から幾らでも打てる。この手の「財宝」が出た時に、一目で鑑定できる要素だから、知りたい者は多かろう。