日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「型による縮小度の違い」

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検証実験の結果

◎古貨幣迷宮事件簿 「型による縮小度の違い」

 前回、「粘土型」について言及したが、関連事項について補足しておく。

 個別の事項については、過去に記述したことがあるので、概要のみを記す。

1)金属型による摸鋳

 平成の初めころだと思うが、中世の銀銭がある程度まとまって世に出たことがある。

 勉強になると思い、複数枚購入してみたが、輪側を指の腹で触ると、妙に違和感がある。そこで、出品元をたどり始めたのだが、「某家の蔵から出た」品で、そこの当主は歯科医だという(あくまでまた聞きの話だ)。

 「中世の銀銭がまとまって数百枚出る」ことが起こり得るのかどうか。

 恩賞用というが、金も銀も「枚」のような単位で与える方が普通だし簡便だ。通貨として使うわけでもないのに貨幣型にする必要があるのか。

 などという疑問を持ち、すぐに銀銭を手放した。

 

 その後、中国人に知己が出来たのだが、その知人と話しているうちに、「中国には骨董村があり、コピーが沢山作られているが、日本人が喜んで買って行く」という話題になった。

 「どんな品でも精巧に作れるから、日本人は本物のつもりで買って行く」(笑)

 確かに、一時の鑑定番組に「大連の骨董屋で買った珍品」みたいな鑑定依頼が沢山出ていた。

 骨董品は持ち出すだけで重罪だから、まともに通関できるのは「そういう品(土産物)」だということだ。本物は、通関せずに裏ルートを回って来る品だけ。

 その中国人を通じ、北京の故宮博物館員が「収集品を売りたがっている」というのを聞き、現物を取り寄せることにしたのだが、この話のついでにレプリカのことを訊いてみた。

 「古銭の偽物も作れるの?」

 すると、知人は「当然だよ。古銭村もあるくらいだもの」と答えた。

 実際、お土産用に金属型の新作古銭を沢山作っているのは私も知っていた。

 その他では、同じ技術で鍔なども作成している。日本国内の色んな地(あそことかこことか)に鍔屋みたいな新作骨董屋がある。そこにはどう見ても新作の鋳造鍔が置かれているが、あの多くは輸入品だ。実用には使えぬ飾り物になる。

 中国の鋳造法が日本のそれと決定的に違うのは、今も金属型が主流になることだ。

 「銭笵」の時代から脈々と受け継がれて来たということ。

 

 そこで思い付いた。

 「銀銭を作らせてみれば、最近の疑わしい品の素性が分かる(かもしれん)」

 こういう好奇心には勝てぬから、すぐに知人に取次ぎを依頼し、「金型の製造」と「見本一枚」を発注した。

 もちろん、「金型ひとつを注文するには、日本では十五万はかかる」ことは承知している。この場合、砂型と違い手間が少なくなるから、枚数が作れる。しかし、偽物を作るのが目的ではなく鋳造技法を調べるのが目的だから、「見本は一枚」ということになる。

 その実際の作品が画像の品だ。普通の通用銭に素材を取り、そのまま型を採って、レプリカを作って貰った。元の銭も返してもらったが、数十年のうちに紛失してしまった。ただ、出来は割合よく、0.1ミリの銭径縮小も見られなかったように記憶している。

 この場合、「サイズを調整するのは簡単」なそうだ。

 では、「大きいから」「小さいから」という見方に頼ると、結論が破綻しかねぬということになる。

 「銀は古色が割合簡単に付くから、使用傷をさりげなく打ち、色を変えれば、たぶん、本物として通る」と思った次第だ。

 不思議なことに、収集家は未使用や極微品を好む性癖がある。歴年の使用で出来る様々な使用傷やまだらな古色が付着していれば、それなりに古さを見通すことが出来る筈だが、あえてその情報を求めぬ傾向がある。

 それなら、今後も模造品はどんどん出て来ると思う。

 ま、石膏でちょっと模って作った品なら、すぐにボロが出て、触った人に違和感を与えてしまう。 

 ちなみに、この金属型自体は一回で破壊した。よってこれで作られた品はこの一枚だけになる。

 型の製作に十数万で、仲介の中国人に謝礼として温泉に招待したりしたので、この偽物一枚の値段は二十万以上だ。

 よって、本物と大して変わらない出費になった。

 だが、ここで得られた知見は「本物を一枚買った」以上のものがある。

 

2)粘土型を用いた永楽銀銭

 話の流れ的には別件になるが、「型による銭の縮小傾向」を調べるために、別に鋳造実験を行ってみた。

 まず前段階の話を書くが、過去の古銭のレビューを検索すると、「同じ銭の鋳写しを重ねるとどれくらい縮小するか」といった話が幾度か出て来た。

 この場合、「鋳造法が一定であれば」という環境条件が必要なのだが、これが触れられることはない。収集家の中には、「これは何ミリ縮小しているから、大体※度鋳写された品」と言及する人もいる。

 この見方が誤謬を含むのは、鋳造法はいつも、またどこでも同じとは限らぬことだ。

 銭が縮小するのは、金属の湯縮みだけが原因になるのではなく、別に型自体が縮小するという要因が存在する。

 最も大きいのは要因は「型作り」で、素材として「硅砂(水晶の粉)」、「山砂(硅砂を含む鉱石紛)」、「粘土」という三つの種別がある。

 このうち、最も型の縮小度が少ないのが「硅砂」で、これに準じるのが「山砂」となり、粘土型は乾燥に従って型自体が小さくなる。

 

 この実証のために、粘土型を作成しようと考えたのだが、粘土型の場合、乾燥させるだけか、乾燥後に火に焙るのかが分からない。

 おそらく水分を多く残す型が、より多く縮小し、かつ歪んでしまう筈だ。

 このように推定して、ひとまず石膏で実験することにした。

 石膏で型取りし、ゆっくりと自然乾燥させ、溶金を流し込むだけなので簡便である。

 この手法で実験すると、上図に掲示した品が出来た。

 一度の「鋳写し」で25%程度は小さくなっている。

 この縮小をなるべく防ぐ方法もあるようで、これは歯科で義歯を作成している技師に聞けば分かると思う。だが、準備を怠るか、急いで先に進めようとすると、一回の鋳造だけでも著しく銭径が小さくなる。

 

 この知見は後で役に立った。

 八戸の目寛見寛の母銭は、一般通用銭に材を取ったのは疑いなく、各々「座寛」と「四年錢小様」が出自だと目される。

 しかし、面文書体の歪みが著しく、銭径の縮小度も大きいのに、間を繋ぐ中間段階の品がまったく見当たらない。

 かろうじて、「鋳写し母」が一段階あるかどうかなのだが、このことをどう説明するのか。

 この疑問へのひとつの答えは「型自体が縮小した」ということだ。

 目寛見寛座は、小笠原白雲居の記述を踏襲すれば、葛巻の一介の職人が興した密鋳銭座になる。

 そこで、果たして、公営銭座でも難儀していた筈の「良質の鋳砂の調達」が容易に可能だったかどうか。

 通用鉄銭の方は見栄えを気にする必要が減じるので、山砂で事足りるわけだが、銅母銭となると、極力滑らかな表面が要る。

 結論は出ておらず、あくまで道筋としてあり得るという意味なので、念のため。

 実証には、はるかに多くの手続きが必要だ。

 今は「このジャンルはとてつもなく面白いぞ」と収集家の心に刻むために、これを書いている。要は置き土産ということだ。

 

 さて、銀素材の方が扱い易かったので、実験に銀を使ったが、もちろん、この品を本物と見間違えるものは一人も居ない。その意味では気が楽である。

 

 注)いつも通り、記憶による一発殴り書きで推敲や校正をしません。不首尾はあると思います。