日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「P21 研究用資料 窪田切銀」

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P21 参考品 窪田切銀、他 

◎古貨幣迷宮事件簿 「P21 研究用資料 窪田切銀」

 参考品は「研究用途のため買っても良いが、売ってはダメ」と言われる。

 「これは参考品ですよ」ときちんと説明しても、次の人がそれを守るとは限らない。

 複数の所有者を経るうちに、「参考品」の文字が取れ、「真贋はよく分からないが」に替わる。そして、その内に「蔵から出ました」と変貌する。

 それくらいならまだよい方で、「これは誰それさんが出した品」と名前まで付けられることがある。自分が出した品であることは事実だが、「参考品」として渡した筈だが、そこでも「参考品」という文字が抜け落ちる。

 現実にこういうケースが複数回あった。それどころか、自分の所有物でもない品に「誰それさんが良いと言った」と冠を付けられることさえあるのがこの世界だ。

 多少の疑問品でも、他人の持ち物を貶すわけにはいかぬので、通常は「良い品です」「面白い品です」という対応をする。だが、その「良い品だと言った」という言質を取られるわけである。

 さすがに腹が立つ。原則として伝票や領収書などをやり取りしない世界だが、なるべくきちんと証拠を残すべきだと思う。

 

 さて、掲示の窪田切銀は、先輩の「下げ渡し品」だ。「下げ渡し品」とは「勉強になるから買って置け」と渡される品で、品物を観察するところに何らかの意味がある。

 だが、その当時は金額が三万五千円くらい。

 「参考品なのに?」とボヤきたくなるわけだが、その理由は「ブームの時に本物として市場に出ていた品」だからだと言う。

 「かつて本物だった品」なら確かに意味はある。鑑定基準などの目を養うことが出来るかもしれぬ。

 

 これが実際に役に立った。銀素材等、時代によって工法が異なるわけだが、鉱石を採取し精練して行く過程で、成分上、「その時代には有り得ぬ技法」が存在する。また完成後、どれくらいの期間で、どういう腐食が進むのか、と言った知見も真贋鑑定には重要である。

 鐚銀銭の時代から、江戸期の銀貨類、幕末明治初年の精練法など、各時代に独特の処理方法があるので、そこに着目すればよい。

 具体的な事実については、記録を残すと、すぐにそれを利用した贋作が作られるので、ごく仲間内でのみ口頭で伝えるのが良いと思う。

 その意味で、必ず収集家間の連絡を良くすることは重要だ。文字に落とせぬ情報を知ることが出来る。人付き合いを避けていると、紆余曲折が増える。

 

 脱線したが、この切銀はよく出来ている。形態や鏨の使い方など「如何にも」だが、配合がまるで違う。

 これまで観察した限りでは、博物館所蔵の品はともかく、市中には「本物」があるのかどうか、かなり疑わしい。

 だが、やはり勉強になる。

 これを見たことが、参考掲示した「元豊通寶銀銭」に進むきっかけになった。

 この元豊は、これまで幾度も記して来たとおり、中国人の知人を通じ、古銭村(新作の古銭を鋳造する業者が集まった地の通称で、「骨董村」に同じ)に注文して、作らせたものだ。

 意図は鋳造法の研究目的による。

1)中国における新作古銭の主流は「金属型」だから、金属型で作成すること。

2)純銀で作ること。

 という条件で発注したが、1)は外見を観察すること、2)は、「当時には有り得ぬ」配合とすること、という意味になる。

 これが文字通りの「研究目的」である証拠は、「一枚しか作らぬ」ことだ。

 売却が目的であれば、百枚、三百枚と作り、一枚当たりの製造原価を下げる。

 金型自体は、一個作るのに十数万から二十万は掛かるので、中韓に人を介していることもあり、これ一枚の製造原価は二十万に及んでいると思う。

 だが、目的の通り、銀の溶かし方や模り方法の工程について学ぶことが多かった。

 表面の加工により、銀錆が割合出難くなる技術についても知り得た。

 素材に関する知見が最も役に立ち、「どのような状況で、どのくらいの時間が経てば、どういう腐食が進むか」が見えて来た。

 これは、鋳造後そのままの部分と、その銀貨幣の上に打刻をした部分とで差が生じるので、その差を観察すればよい。

 

 以下は笑い話。

 平成のある時期に、ある銀貨幣が多数世に出たが、腐食の進み方が絶対に合致していない。「百年を経過した銀地金」では有り得ぬ。

 そこで、大先輩のH氏に「これは最近のものでは?」と訊いてみたのだが、その返事は「これはどこそれの工場で作ったものだ」という話だった。

 さすが、全国を自分の脚で歩いて調べているから、そういう情報も知り得る。

 時々、H氏は「あれはドコソレ製造工場製で」と語ったが、ある時から言わなくなった。それからしばらくすると、H氏がその銀貨幣を本物として出品していた。

 皆が受け入れているので、それに倣うことにしたらしい。

 銀は古色(銀錆)が付きやすく、新旧の見分けが面倒だが、必ずルールがある。

 空気に晒して一定期間が経てば、平面と打刻の底との間に相違が出るわけだが、その総意と順番で、新しく作ったものとかなり前からその形になっているものとの違いが分かる。

 その意味では、銀貨幣は「実際に使用して摩耗したり錆が出ている品」ほど鑑定しやすいのだが、収集家は一様に未使用で瑕のない品を好む。ある意味、飛び込み自殺である。

 

 寛永銭の白い品は、銀製でも白銅製でもなく、合金製である。かなり前から雑銭に混じって全国で発見されているが、おそらく隣国で作成されたものである。

 おもにタングステン合金が利用されており、円銀の偽物と同じ作りだ。

 一時、銀製か白銅製を疑ったことがあるが、白銅であれば、表面色が割合早く黒変するので、白銅でもない。

 十数枚ほどを雑銭より拾ったり、拾った人から買い受けたのだが、いずれも合金製だった。一枚だけ白銅製があったのだが、机に放置していると、数年も経たずに黒変した。

 

 さて、冒頭で「参考品は売るな」という格言を記したが、P21の切銀は研究用に提供しようと思う。ただし、参考品だから安価に出すと、ネット等に本物の豆板銀や歩銀類などと一緒に「真贋は分かりません。返品不可」で出品される可能性が高くなる。

 きちんと「研究用」と銘打ちウェブ等に記録を残した上で、購入時の半値くらいで渡そうと思う。かなりの勉強になる。

 ちなみに、元豊銀銭を世に出すことはない。腐食・劣化させれば、十分に「本物に化ける」品であるし、そもそもこの一枚の製造原価が二十万だから、本物と大して変わりない。実験を試みた価値はあり、昨今出回っている「きれいな参考銀銭」よりよほどドキッとさせられる。

 

注)記憶と過去ファイルの画像を基に「一発殴り書き」で推敲や校正をしない。不首尾はあると思うが、あくまで日々の感想の類だ。

 文中記載のH氏は割と最近亡くなられた。謹んでご冥福をお祈りしたいと思う。