日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「背文銭の金替わり」解説編

◎古貨幣迷宮事件簿 「背文銭の金替わり」解説編

(1)黄銅銭

 黄銅と言うより真鍮銭なのだが、真鍮ではごく普通の背文銭まで含まれる。

 金質は背元銭に時折見られる「真っ黄色の銭」と同じなのだが、こっちは慣用的に「真鍮銭」と呼ばれていたようだ。金属の配合上の名称と古銭での使い方が違うことがあるので紛らわしい。「白銅」も配合上のそれは、見た目は黄色っぽく、さほど白くない。

 空気に晒し時間が経っても、あまり変化せず、「小学校のドアノブ色」、すなわちチープな真鍮色のままだ。微妙な配合の違いでそうなるのだろう。

  この品は枝落としが雑で、果たして本銭なのかと疑いたくなる。

 

(2)銀含み

 重量が4.3グラムあり、文銭の平均重量より1グラム重い。「通常より重い」ケースでは、後出来の品だったりするわけだが、これは大正以前に閉じられた銭箱から出た品で、コレクター向けの贋作とは考え難い。理由は「作っても誰も買わない」から。

 その意味では、これを素材として取り上げ、中国人の眼に晒すのは、あまり得策ではないかもしれぬ。似たものは幾らでも作れるわけだが、中国製が中国製たる所以は、輪側処理の雑なところだ。あえて、輪側の拡大図を見せるのは、同じやり方では仕上げられぬからだ。

 新しいか古いかは、その時代ごとの処理工法を知っていればすぐに判断できる。

 面背は砂型で作られるが、輪側は人の手が触る。手はごまかせない。

 「銀含み」は、理由は分からぬが、秋田方面で時折発見される。

 銀に加えて亜鉛を多く含むものがあり、これが一部鮮血色の錆(劣化)を帯びるので、人目でそれと分かる。銀+亜鉛がどうやって混じったのかは分からぬが、こちらは本銭ではないと思う。地方では、よく分からぬ品がまだ沢山ある。

 幸か不幸か、古貨幣収集家の九割は「型分類」だけを志向する。

 寝ても覚めても、とにかく「分類」だ。これは顔かたちだけで人間を判断するようなもので、残り一割の私のような者は、一体、それの何が楽しいかが理解できない。

 以下は例え話。

 人には各々の人生があり、その中には親との関係、学校や職場での関係、など様々な成長記録や人生体験を経ている。そういうことに目を瞑り、とにかく顔かたちで「これは何々人」「何顔」と分けるのと同じことが、古貨幣では行われている。

 批判めいた見解は総て過去の自分に跳ね返るのだが、熱中するのも程々にして、冷静に自分の立ち位置を眺め直すことが必要だと思う。

 銀含み(の本物)はこれまで十数枚くらいしか発見されていなかった筈で、もちろん、永楽銀銭よりもはるかに少ない。取引の現場は一度しか見たことが無いが、やはり永楽銀銭よりは上だった。盆回しに出した時の「下値千五百円」は、この品を知っているかどうかのテストと言う意味だ。

 鮮血色(仮称)の方の背文銭は、NコインズのOさんが所有していた。O氏は誰かに売却した筈だが、どこに行ったのかは分からない。三陸沿岸の亜鉛混じりの絵銭を見ていれば、これが「亜鉛味」の特徴だということが分かる。

 この配合は指輪屋さんでも作れるので、ここでこうやって書いてしまえば、いずれ色んなものがボツボツと出て来ると思う。

 で、とりあえず結論は「デジタルマイクロスコープを買っとけ」ということ。一発で分かる。

 

(3)文銭の「白」

 寛永銭の分類譜には多く位付がつけられているわけだが、その文銭の位付に「白」として、ひとつ二つ上の位が付けられていることがある。これは「見た目が白い」で、実際、状態の良い品は真っ白に見える。ただ表面が新しく腐食などが少ないことによるようで、空気に晒し、数年ほど経つと色が落ち着いて来る。

 白異のは錫成分委よるようで、これが劣化すると黒くなるので、次第に黒ずんで来るようだ。この品は「誰が見ても白と見なす」色合いだったが、しかし五年もすると古色で白さが目立たなくなった。逆に言うと、いつでも白い色に戻せるということでもある。

 

(4)白銅銭

 これも金属分類上の白銅ではないが、便宜的にこう呼ぶ。

 表面に付け色っぽい部分があるので、メッキ銭の類と思っていたが、「それなら削っても同じ」と考え、がりがりと削ってみた。

 すると中の地金は、外見のそれよりももっと白かった。

 薄く軽いので、偽物にありがちな風貌のだが、きちんと流通しており違和感はない。

 出来立てのゴツゴツ感もない。

 こういう場合、やはり出所が分かっているのは役に立つ。

 都会のコイン店の店頭でこれを見たなら、「ああ作り物」だと思うわけだが、これは大正から少なくとも戦前に仕舞われた銭箱にあった品だ。

 謎を解く助けにはならぬわけだが、最近のものでも、大陸から渡って来たものでもない。薄く小さいが、密鋳銭と言うには砂目が整っている。何とも不思議。

 

(5)彩色銭

 配合とは関係ないが、同じ銭箱から出た品と言うことでここに含めた。

 こよりは銭箱に入っていた時のままで、箱に放り込んだ者が結んだものだ。

 そこはやはり商家で「これは何だろう」と疑問に思い、印を付けた。

 金色か黄色の漆塗りのようで、よほど丁寧な彩色をしている。

 奥州では上棟銭の記録を見たことが無く、神社奉納銭の類ではないかとは思う。

 ちなみに、古銭書にはあれこれ由来が記してあったりするが、それを鵜呑みにすると大恥を搔く。事実関係を調べに行くと、まったく根拠不明だったりする。

 泥棒市場の古道具屋の店先に「楊貴妃の使ったショール(三万円)」として飾ってある品と同じだ。「だったらいいな」「なら面白い」程度と理解する必要がある。

 まずは事実関係を調べることが必要で、それには古貨幣を買い集めるよりよほど金と労力がいる。

 

(6)未分類銭

 いつか文銭の研究を真面目にしている人に会ったら、これを進呈しようと思っていたが、まったく出会わなかったので、まだ手元にある。

 分類はどうでも良いのだが、地金が特殊で、焼けた風でもないのに赤黒い。

 もしや密鋳銭で、その時に生じた変化ではと思ったりもするが、類品が出て来なかった。

 と言うより、文銭や古寛永は全く開封せずに、他の人に渡す方針だった。

 この辺はOさん流で、「喜ぶ人に喜んで貰えばよい」ということ。

 

 で、これら総てがひとつの銭箱の中にあった。

 これがすなわち「商家の銭箱」と言うことの意味だ。

 

注記)眼疾があり、推敲も校正もしない(出来ない)。既に古貨幣収集は卒業したので、記述は記憶だけの適当な内容となる。コレクターの類が好きではなく、歓迎もしないので、なるべくここには来ないことだ。

画像と記事が離れたので、画像を再掲する。