日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎穏やかな日

穏やかな日

 先週から従来の左右の患者の姿が消えたが、これは単純に移動によるものだった。

 看護師に聞くと、左右のベッドの患者は「入り口の出入りに便利な場所を重篤な患者のために空けて貰い、奥の位置に移って貰った」とのことだった。

 あれあれ。俺には「移ってくれ」という話はなかったぞ。

 それじゃあ、俺はその「重篤な患者」の方に入るってか(w)。

 

 最近、治療がキツいが、この日は少し楽に終わった。

 帰り際に出口で元右隣のアラフォー女子に会った。

 すると、女子がひと言。

 「何だか随分久しぶりに会った気がする」

 ベッドを移ってから、まだ五日だけだが、「久しぶり」という表現だ。

 それは「寂しい」ってことだ。

 何年も隣のベッドで過ごし、看護師たちと話をするのを間近で聞いていたから、近しく思うのだな。

 当方的にも「まるで姪のよう」な心持ちになっていたから、少し寂しい。

 患者ジョークの定番が使えなくなる。

 

 その定番ジョークが送り迎えで親族が来た時の挨拶だ。

 「いつも隣で寝てます。ベッドの隣ではなく、隣のベッドですけど」

 週三回「隣で寝てた」のは事実だ。

 ジョークとしてはもうちょっと際どい表現をすべきだが、そこは病院だから限界がある。

 

 帰路には神社に参拝して、自分を検診した。

 同じような快晴の日の、同じ時間帯に、同じ位置から撮影して、これだけ見えるものが違う。

 さすが太陽の真下に居るのに、体の周囲が真っ暗だったりするとゲンナリする。

 ひと月前がそれで、自分の体を背後から黒い人影が羽交い絞めにしていた。足には手のかたちの煙がまとわりついていた。そして、実際に体のあちこちに異常が出た。

 ひと月の間、お祓いを続け、ようやく周囲がきれいになった。

 この日は完全に清浄で、「黒いひと」も「足に絡みつく手」もまったく見えない。

 祈祷の成果なのだが、実際、足の調子も良くなった。当面は手術が要らない。

 

 一方、幾らかお腹に渦が見えるが、血圧が乱高下しており、その影響からか数日前に目から出血した。これは生体の磁気反応である可能性が高い。

 こんな風に、眼で見て、自分の危機が判断出来、どういう対処をすればよくなるかも何となく分かる。これは利点のひとつ。

 一方、危機が来ることが分かっても、避けられぬこともあるから、承知している分だけ苦痛が大きくなる面もある。これが不利点だ。

 危機が分かるのと分からぬのと、どっちが良かったのかは何とも言えない。

 

 ただ、今のこれは幾年にも渡る経験を踏まえ、研ぎ澄まして来た結果で、持って生まれたものではないことは確か。視覚も聴覚も周波数が合うように調整すれば、色んなものが見え、聞こえるようになる。

 あとは、よりよい役立て方を考えることだとは思う。