◎古貨幣迷宮事件簿 「文銭の金替わり」
掲示の画像は、文銭の金替わりに関するものだ。同じような関心を持つ人がいるかどうかを確認するために、一度盆回しに「下値千五百円」で掲示したことがある。かなり時間が経過してから、数人が照会して来たが、現品が消息不明になっていた。
紛失したかと思っていたが、つい数日前に二階のトイレの窓の桟に並べてあったのを発見した。古色実験をするために、風通しの良い場所に置いて、そのまま忘れていたらしい。
前回より一年は経っているのでこれを改めて観察する。ちなみに「盆回し」は「双方の鑑定意見が一致すること」を目的とした方法なので、意見が合致した時に交換が成立する。値段だけの「入札」とはまったく異なるので、念のため。下値で応札し、他に誰もいないと、即落札出来るわけではない。下値はあくまで「発句」で、想定価格に達しぬ時には不落となる。
まずは前提から。
前回掲示の後で良く思い起こしてみると、この六枚は同じ銭箱から出たものだったと思う。二十年以上前に鹿角の買い出し業者と懇意になり、「古屋下げ」があった時に出物の古銭があれば送って貰っていた。「古屋下げ(家屋解体時)」に、というのが条件で、それはこちらの注文なので値段は先方の「言い値で良い」こととした。
大体は枚単価で35円から50円が相場で、バラ銭のこともあれば差し銭のこともあった。一人の業者で一年に一度あるかどうかの話なのだが、東北中に同じような業者と十数人知り合いがいたので、年に一度か二度は物件があった。
寛永銭の場合、昭和二十年代まで形式的に「現行貨」だったから、お金として扱われており、状態が劣る品も選別されずに残っている。欠けていても一厘は一厘だ。この「きちんと割れ欠け品が入っている」のが「蔵出し状態」に近いのかどうかの判断基準のひとつで、割れ欠けが自然に入っているのなら、むしろ喜ばしい事態だ。
古銭会では、よく一部の収集家が「状態の劣る品が混じっていたら、そういうのはどうしてくれるのか」とクレームめいたことを言っていたが、それを聞き、私は内心で「こいつはバカなのか」と思っていた。状態の劣る品を除外するなら、その過程で、母銭など立派な品も目に付くということだ。
実際、解体現場により近い段階で古銭を買うとすると、枚単価50円で「当たり前」だ。これか骨董会では35円になり、古銭会で25円30円になり、都会のコイン商まで行くと25円以下になる。どんどん下がって行くわけだが、その途中で「目に付く立派な品」がどこかに消えているということだ。
ネットでは十数円まで下がるが、要は「見たカス」ということ。
こういう背景があり、コイン業者や入札でしか品物を買わぬ人は状態の良い普通品を選別して買うから、そういう人に雑銭を渡す時には、3%くらいの枚数を加算して出していた。百枚なら百五枚くらいほどだ。
真面目に「割れた品が入っているのをどう補償してくれるのか」と問う人がいたから驚かされる。きっと蔵出しに立ち会ったことが無く、コイン店とかネットオークションでしか入手したことが無いという意味で、要は「見たカスコレクター」だ。
手つかずの古銭は、薄ら汚れていて、錆びたり割れたり欠けたりしている。それは「お金として仕舞われていたから」で、こと収集家にとってはそれこそ喜ばしい事態だ。
クレームめいた話を持ち出された時には、普通に「その点を考慮して五枚多く入っています」と答えていた。もう一度書くが、同時に内心では「こいつらはバカなのか」と。物を知らぬのにも限度がある。
脱線したが、「鹿角の銭箱」については幾度か詳細を書いたので概略のみ記すと、これは「商家のもの」で最も収集家として望ましい素材だった。農家のものは差し銭が多いのだが、銭種が揃っており変わり物が少ない。商家はお金に敏感で「違和感があれば取り置く」習慣があるので、変な品が必ず混じっている。
古銭の収集家は、頭がおかしい人種で、その「変な品」、「不細工な品」をことのほか有難がる。
相撲に例えると、「押し出し」や「突き出し」にはまったく興味を持たず、「八艘飛び」や「猫だまし」といった奇手のみを見て誉めそやす変な客だ。それも相撲の楽しみ方なのだが、度を超すと、やっぱり「バカなのか」の域に入る。
もちろん、それにはかつての私自身も含まれる。
と、ここまでで朝の時間が尽きたので、詳細は帰宅後に改めて記す。