日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎頭を丸める

頭を丸める

 心身の状態を整えるのに四苦八苦しつつ、しかし、諦めずに再起を志すわけだが、いざ精魂を入れてPCの画面に向かいだすと、疲労の影響なのか、また硝子体から出血してしまう。

 景色や道路標識などは見えるのだが、細かい文字はお手上げだ。

 校正しようと思っても出来ないので、書き殴りのままの状態になる。比較的眼の状態が良い時に誤変換を発見すると、すごく気が滅入る。

 「俺はもう何も出来ないのだろうか」

 眼から出血すると三週間くらいはまったく何も出来ぬし、曇りが感じられなくなるまで血だまりが消えるのは三か月後だ。

 で、その頃にまた出血。

 心がやさぐれて、とかく攻撃的になる。

 今の私の前で、煽り運転などしようものなら、その相手が車を降りてきた時点で車を突進させると思う。

 轢き倒した上で、それだけでは留まらず、運転免許証を確認して、そいつの家族の許に向かうと思う。

 コワイ。悪魔アモンが手ぐすね引いて待ち構えている。

 アモンは「想像の産物」などではなく、現実に居て、しかそ私のすぐ近くにいる。普段は私の目で物を見て、私の耳で他の人の声を聞いている。

 すごく重宝な存在なので、私に対しては何もしないが、いざスイッチが入れば別だと思う。その時に反応し、自ら行動を起こすのは私自身で、私が引き金を引いた瞬間にアモンが人格を取って代わる。悪魔は「ドアを開けて招き入れぬ限り入っては来られぬ」が、怒りを炸裂するのはその「ドアを開く」行為と同じことだ。

 その時は年寄りも子どももなく鉄槌を下すと思う。

 

 自分の心の中にあるに「悪意のスイッチ」が入るのが最も怖いので、これを機に出家の準備を始めようと思う。と言っても、私の場合は既存の信仰(宗教)は向かぬので、「オレ(自分)教」なりの出家だ。

 そこで、今日は床屋に行き、頭を丸めて来た。

 最初は「スポーツ刈りに」と伝えたが、すぐに「やはり坊主頭に」と訂正した。

 外見は中高年層によくいるような短髪のオヤジだが、これからは怒りのスイッチっが入らぬように、お経を読んだりして、心の平穏を維持することを心掛ける。

 ちなみに、宗教は「共に生きて行くための杖」だが、私にはそれは必要ない。もはや心身の七割くらいはあの世に入っている、

 

 落ち着いていられる時には、きちんと般若心経が出て来る。

 あの世を身近に感じた時や咄嗟の危機の時には、たった二百数十文字のお経がほとんど出て来なくなる。

 頭を丸めて、さっぱりしたので、少し気が楽になったせいだと思う。

 

 追記)よく考えれば、煽り運転に遭遇したり、窃盗被害に会った時などは、自分自身で反応せず、最初からアモンに任せればよいのだった。いつも傍で見ているので、呪詛を掛けることすら必要が無い。

 実際に自分自身が経験したが、あの世がもたらす「障り」の恐ろしさは、ホラー映画の比ではない。

 人間らしい勘定など無く、そして終わりがなくいつ果てるのかが見えない、そして死んだ後もその「障り」が続く。

 そんな事態を撒き散らさぬように、心の安寧を保つ必要がある。