日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「雑銭の見立て 応用編」

◎古貨幣迷宮事件簿 「雑銭の見立て 応用編」

 前回の中国雑銭の続き。

 家の中の机の下やソファの陰などから、いまだに雑銭が出て来る。

 もはや数十万枚は売却した筈だが、それでも段ボール箱の陰にビニール袋が隠れている。画像は昨夜、本棚の後ろで見付けたものだ。

 

 一見して、これは「人通りのあるところで木箱に入れられていた」ものだと分かる。

 そこそこの湿気があり、空気が流動する場所では、より劣化が進むから青錆が出やすい。農家の納屋の棚とか、古道具屋の店頭などだ。

 触ってみた時に埃が著しく手につくので、これは道具箱の中に放り込んであった品だと分かる。

 ここまで書くと、「これだけでそこまで分かるのか」と思う人が出そうだが、それこそ「近視眼的なものの見方」だ。偉そうなことを分かったように書けるのは、単に「そういうところから買い入れた」ことで、その記憶があるということに過ぎぬ。

 

 寛永銭は昭和二十年代まで、ひとまず通貨としての扱いだった。

  だが、渡来銭は江戸の中頃からお金としては見なされなくなった。

 これが支払いに混じっていると、当然クレームがつくので、渡来銭は除外して別にすることが多かった。寛永銭の員数が足りず、どうしても差しを揃える必要があった時にだけ、数枚を混ぜることがあったかもしれぬが、失点は作らぬのが無難な選択だ。

 取り置き箱に放り込むことになるが、こういう渡来銭は、金属材として売却したり、あるいは貨幣の面文の吉語としての解釈を利用し、護符(お守り)として使用された。絵銭の取り扱いと同じこと。

 こういう経緯から、渡来銭は渡来銭だけまとまっていることが多い。

 寛永銭と多く混じっているケースは、江戸前期か、あるいは昭和以後に整理用に混ぜられた可能性が高くなる。よって、そういう混ざり方自体が情報として役に立つ。 

 

 もしコレクターが目を通していると、「収集癖の性」で、とにかく一枚ずつ検分して確かめるから、紐などは解いてあるし、残りを売る時のことを考えて、割れ・欠け銭は除去する。

 ウブい雑銭を提供しようと、そのまま盆回しに供すると、中には「状態の悪いものが入っている」とクレームめいたことを言う人がいた(w)。

 それは「実は朗報」ではないかと思うが、店やオークションでしか古貨幣を扱わぬ人ならその感覚になる。経験のない人に説明することほど無駄なことはないので、最初から3㌫から10㌫多い枚数を包んである。「最初から見込んであります」で終了。

 「見たカス」が好きな人もいるわけだが、確か二それならせいぜい枚単価十円だろう。

 

 だが買い出しの現場では枚数を数えることはなく、概算で重量計算することが多い。

 一文銭で3.4グラム、当四銭で5.3グラム見当で重量を計算して、枚単価を掛ける。割れ銭欠け銭が目に付く時には、幾らかを㌫控除する。

 もちろん、買い手は「数は数えなくて結構です」と言うわけだが、当たり前だ。買い出しでも母銭は分かるから、数える最中に消えてしまう。

 

 今は地方の古道具屋はリサイクルに取って替わられつつある。

 買い出し業者も見当たらなくなった。

 そのルートが無くなるのは、実はコレクターにとって不幸なことで、リアルな蔵出しに近付けるケースはほぼ無いと言える。

 正直、ネットコレクターが古銭書だけを読み何を語ったところで、「実際の遣われ方や仕舞われ方など何も知らないでしょ」と言う話になる。

 

 以下は前にも書いた話だ。

 岩手県のY村(当時)のOさんという人から連絡があり、「墓地を改修したら古銭が出た。見て貰えないか」という話だ。

 これが仕事なら、ただ見せてもらうために五百キロ以上移動するなど出来ない話だ。

 だが、こちらは道楽で損得はどうでもよく、こんな面白い話は滅多にない。

 車を運転してY村を訪れた。

 その時に見せて貰ったのは、広郭の天保銭が二十枚くらいで、色が真っ白だった。

 すぐさま、「これは本座の未使用とは違う」と思った。

 密鋳銭か、あるいは、仕立てが巧妙なので藩鋳銭が思い浮かぶ。

 白銅天保の代表例は仙台天保の初期のもので、初期には真っ白なものがある。それと似ているので、もしかすると汎用型の仙台銭かもしれん。

 仙台藩のような大藩が贋金づくりを企図するとして、突飛な書体のごく少数の銭だけを作ったのか?まるでナンセンスが話で、少なくとも何十万枚かの規模で、「贋金とは分かりにくい銭」を作っていると見るのが普通だ。たぶん、過去に知られている仙台天保よりもずっと本座に近い。

 ということを思いつつ、「一枚サンプルを譲ってくれ」と申し出たが、「資料として保存するから出来ない」との答えだった。

 (この時、「丸二日の時間と費用を掛けて来たのだから、相応の見返りは出せ」とはっきり言うべきだったと思う。子どものお使いとは違う。だがこの頃は無頓着だった。)

 「寛永銭の方が三十万枚あったが、そっちは既に役場の資料室の方に入っている」と聞いたので、役場に行こうとしたが、祝日で役場は閉まっていた。

 「寛永銭の方は収集家の方が来て分類してくれたものがあります」と言うので、それを見せて貰うと、背千の母銭など鉄銭の母銭が数十枚ほど額に入っていた。

 「これを拾ってくれたのが、矢巾に住むKさんという人で・・・」と聞き、思わず笑ってしまった。

 前の日が日曜で、その日には古銭会があり、Kさんにそこで会ったばかりだったのだ。つくづく「自分も物好きだが、Kさんも道楽者だ」と思った。

 古銭を見るためだけに、県内をくまなく歩いていたのだ。

 

 しかし、あの当百銭は何だったのだろう。薩摩銭のような地金だが、薩摩銭ほど地金が固くなく柔らかい。金属分類でいう白銅に近い色だった。

 浄法寺系とは作りが違っていたが、あれと似ていたのは二戸の白銅絵銭だ。

 NコインズO氏によると、未知の二戸銭座には、絵銭の他に白銅の背盛母銭があるという。それなら天保銭があっても不思議ではない。

  ここ十年くらいの収集が楽しいものではなくなったのは、昔のような足でなくネット主体の収集に移ってしまったからだと思う。

 見るのは手の上の銭と画面だけ。ひとに会うことも無ければ、蔵出しの現場も見ることはない。

 文字テキスト中心の知識など左程の役には立たない。若者は是非外に出るべきだと思う。オークションや古銭会など足の利かぬジジイの行くところで、若者や青年は自分の足で見て歩け。

 

 ちなみに、最も楽しいのは「金属探知機を持って銭座跡に行く」ことだ。

 古銭が出ることは少ないが(ゼロではない)、昔の釘や道具類が出ることがある。

 古銭だけが目的なら、何の成果も無いわけだが、「自然の中で活動する」こと自体が好きであれば、十分に楽しめる。キャンプを楽しめるプラスαがあると十分な娯楽になる。砂金採取用の皿も車に積んでおり、産金地で採取を試したことがあるが、まずは全く取れない。だが、事後のビールも飯も美味い。

 

注記)いつも通り一発書き殴りで、眼疾のため文字が見えず、推敲も校正もしない。日記程度の解釈で。