日刊早坂ノボル新聞

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◎父親似だったらしい

父親似だったらしい

 昨夏より次女が家に戻って来たが、コイツは偏屈でわがままだ。

 前の職場で嫌なことがあったようで、総てを捨てて、給料が半減する別の仕事に就いた。

 ま、「同業の彼氏と別れたのだろうな」とは思う。

 何をするのも億劫で、楽しいことがない。当方も二十台の初めにはそんな時期があり、かなり荒れた。あれもこれも、「あの女子とうまく行かなかったせい」だと思う。

 よく笑う娘だったのに、今はまったく笑わない。

 いつも渋い顔をしている。

 こういうのは、あれこれ口を出しても聞く耳は無いので、今は静観していようと思う。

 

 さて、昨日、家に届いた郵便物を見ると、「姫神童子」様宛のがあった。

 「ひめかみわらし」って、何じゃこれ?

 その下に娘の名があったから、なるほど、次女のハンドルネームらしい。

 そう言えば、次女の趣味は、和楽器の横笛だから、それと関係しているのか。実際、小学校では「姫神神楽」を練習した筈だ。

 

 ここではたと気付く。

 オヤジの方も太鼓を買ったら、これが趣味になり、時々叩いている。

 ネットのハンドルネームは十もあるが、その中には「姫神旅人」「姫神山人」がある。

 ひと言もこの話題を出したことがないから、双方が勝手に似たようなハンドルネームを名乗っているということ。

 

 となると、我が娘が「偏屈で我儘」なのは、単に「父親に似た」だけのことかもしれん。

 そう言えば、当方が二十歳台の頃には、実家にはほとんど連絡をしたことがない。するのは「金がない」と言う時だけ。

 家人と結婚する時も、「結婚することになった」といきなり連れて行った。事後だが、もちろん、承諾などされぬから、式などは上げていない。

 だが、自分の生き方は自分で決める。「それが当たり前だろ」と思うから、偏屈で我儘だということ。

 母はよくこんな身勝手な息子に耐えたものだ。

 要するに、今の事態は、結局は因果応報なのかと思うところがある。

 

 次女は文章表現が巧みで、父より数段上の力量がある。

 わずか三行の記述で、読み手を泣かせられる。

 こういうのは感覚的なもので、「持って生まれた」才能だから、早く次女自身がそれに気付き、執筆を始めればよいと思う。

 ま、才能のない者でもソコソコは出来るところを見せれば、やる気になるかもしれん。

 これがなかなか出来んけど。