◎病棟日誌 R070125 目の前の危機
この日は珍しく看護師長が仕事をしていた。今は看護学校の講義が中心の生活をしているらしいが、「ひと月に一回は現場に立たないと示しが付かないのですよ」とのこと。確かに職場を引き締めるためには、時々、管理職が陣頭に立つことが必要だ。
師長は全部のベッドを見回ると、再び当方のところに戻って来た。
「〇〇(患者のアラ40女子)さんが、『また※※(師長)さんと※※さん(当方)の話が聞きたいな』と言ってましたよ」
それって、従前のように隣のベッドになるということだな。
以前は、左隣がガラモンさんで、右隣がアラ40女子.。五年間くらいそのままだった。
アラ40女子は二十台の時にドラッグで市販品を買い、それを飲んだら一発で腎不全になった。どんな感じかは、昨年あった紅麹の事件を想像すれば分かりよい。ちなみに、あの事件では幾人かが亡くなり、だらに急性腎不全で生死の間を彷徨った人がいる。腎不全患者は数百人に及んだ筈だが、その内の何割かは慢性腎不全になった筈だ。腎機能はいざ損なわれると殆ど回復しない。
それ以来、アラ40女子は十五年以上、人工透析を受ける身になった。ただ耐えるだけの暮らしで、病院が生活場所だ。
普通の人の3~5倍のスピードで動脈硬化が進むから、色んな病気を併発する。つい最近も、首の血管の注射痕から感染症を引き起こし死にそうになった。
治療が長期に渡るので、シャント(動脈静脈の結合部分)が損なわれ、左腕→右腕→首の血管を使用するに至っているので、週三回の感染機会がある。
アラ40女子Iさんにとっては人生の半分以上が病院だ。
腎不全以後には旅行をしたことが無ければ、仲間と一緒にスポーツをしたりパーティをしたりすることもない。
隣にいた時には、外国での失敗談や、夜のクラブ活動の話、どういう風に彼女に振られたかみたいな話をしていた。当方と師長が外の世界の話をするのを聞き、疑似体験していたのだろうと思う。
Iさんは首に針を刺すようになり、一年ちょっと前に隔離ベッドに移ったわけだが、その後も「また隣に戻りたい」と言っていた。ガラモンさんも同じことを言う。
だが、既にいる人を押しのけることになるし、殆どの患者が互いに無関心なのにそこだけ仲が良いと少し変な風に見える。齢が違い、男女間の感情はもちろん、まったく無いわけだ。
「元に戻して」とは言い出し難い。これで一年が経った。
しかし、この日はたまたま師長がベッドを回ったので、師長に直訴した。
それが軽い希望でないのは、たまたま帰り際に顏を合わせた時に分かった。今は病棟の端と端なので、滅多に顔を合わせる機会が無い。
ナースステーションの前で、アラ40女子Iさんは「(師長に)寂しいから、また隣に戻してと頼みました」と報せて来た。
それを聞いて、「よほどの危機が来ている」と感じた。
身体的危機は言うまでもなく、精神的な危機が来ているらしい。
そこで「じゃあ、また元に戻して貰おうか」と答えた。
帰る道々考えさせられたが、行動に移すくらい切羽詰まっているには理由がある。
「俺のことを思い出すのは、あまり良いことではないからな」
自分の死を見ている人は、多く当方のことを思い出す。いつも生き死にについて語っているからなのだろうだが、死が間近では無い者は大半が忌避す(死と当方の両方を)。しかし、具体的に死を感じ始めると、それと一緒に当方を思い出すらしい。
「それなら、少しでも助けてやらねばならんな」と思った。
隣のベッドに戻るまでもなく、時々、帰り際に相手のベッドを訪れて、話をしてあげればよいわけだ。
当方もアラ40女子も、いずれ程なくあちら側に渡る。
当方は今のところ、闇落ちして悪霊になるようだが、娘のようなこの子には無難に川を渡って貰おうと思う。
滅多に語らぬし書かぬ「あの世の真実」を伝える相手が出来た。