日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

なぜ休みにしないのか

妻の親族は、ニュージーランド、オーストラリアやカナダに住んでいます。
その親戚たちが主張するのは、「日本人はこういう危機的状況下で、なぜ休みにしないのか」ということです。
 
大きな災害が起こり、まだ被害状況すら明らかでは有りません。
さらに日本の一地域、または日本国民だけでなく周辺諸国(あるいは人類)に被害をもたらしかねない原発事故が進行しているのに、なぜ従前の生活に固執しているのか、という意味です。
会社や学校を総て休みにしてしまえば、放射性物質が急に降ってくることへの対応(自己防衛の意です)も出来るだろうし、交通が麻痺したり、さらには車で移動しなくてはならない頻度も下がり、ガソリン不足を軽減できる。
 
民間企業が業務を休んだら、国民の生活が成り立たないではないかという意見もあるだろうと思います。
しかし、もし2週間や1ヶ月経っても、原発の状態が改善されていないのなら、日本の国と地域は壊滅的な打撃を受けているだろう。そうであるなら、一定期間を被災地の救済と原発事故の対応に専念しても、状況は変わらない。
我々の国であれば、日本人の対応は「とても考えられない」ということです。
 
確かに一理以上の意味・意義はありますね。
もし民間企業の多くが休業にすると、電車のダイヤを休日仕様にでき、電力不安が低下します。
通勤のために敢えて車を使う必要が無く、ガソリンを優先的に被災地や被災地に救援物資を運ぶ車両に振り分ける事が出来ます。
 
もっと重要なのは、原発が重大な事態に至った時、親の目の届かない所で、子どもたちが汚染物質を被るという事態にならないことです。
2、3週間くらいは全面的に休学・休業し、救援と修理に専念すべしという発想は、日本人的発想には無いことですので、言われて初めて「なるほど」と思います。