日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

デタラメな論理

「行き過ぎた指導」が、
体罰の常習化」を招き、
「生徒が追いつめられ」、
「自殺するに至った」。
 
これらの各段階に問題があり、ひとつ1つ丁寧に対処の方法を考えていく必要があります。
とりわけ、他に相談できず自殺するに至る過程で、生徒が「孤立する」というステップがあり、これは「いじめ」が自殺をもたらす環境要因となる時と同じです。
現状を改善しようとする試みの中で、最も簡単で、かつ効果が薄いのが、組織改編です。
組織図の部署の名前を変えたり、人の配置を替えると、いかにも「何かを変えた」気分になりますが、活動そのものは変わらない。
(たとえば、厚生省と労働省がひとつになり厚生労働省になっても、やはり中では別々に働いています。)
 
「桜宮高校1校だけ」に対し、「体育系の募集を取りやめる」のは、上記のいったいどの部分の解決策になるのでしょうか。
体罰を行ってきたのは教員なのに、生徒を受け入れないのはどういう意味か。
この高校だけで、体育科の教育を放棄することで改善になるのかどうか。
そもそもなぜこの高校だけが対象なのか。体育科そのものを問題視するのであれば、「大阪市の全高校」を対象にしなくてはならない(論理に矛盾あり)。
体罰を行ったのは教員なのに、ケツを拭かせるのは受験生。これのどこが改善なのか。
 
手順も乱暴すぎ。
市長が独断で決めることができる案件かどうか。
また、入試はもはや来月で、すでに募集を掛けてあります。
取りやめにできるのは、少なくとも次々年度からでは。
 
もし願書の発送が終わっているなら、志望校の変更が間に合わない中学生も出て来ます。
そういう生徒が、1年間浪人することになったら、「募集を掛けておきながら直前で市の自己都合でやめた」ことになり、これで被害を蒙ったとして、訴訟を起こすことも出来そうです。
 
「オレの言うとおりにしないと、予算を通さない」
これは、ある小政党のOという政治家がやってきた手法とまったく同じですよ。
また予算は議会の承認を得ているので、勝手に内容を変更出来るわけではない。
とんだ食わせ者です。
 
もっとも、全国のほとんどの地方自治体では、「行政」を行っているのに、唯一、大阪市のみは「統治」を行っているところです。
まさに、専制君主なみの政治手法ですね。市政でも施政でもなく、「恣政」です(あるいは私政)。
市長によると、「オレが嫌なら、選挙で落とせ」なそうです。
では早速、リコールして、市長職から解放してあげれば、喜んで国政に行くのでは。
 
かつて明治維新の時、大阪商人は薩摩藩と結託し、贋金を大量に作りました。
(そのせいで、薩摩藩が作った天保通寶のことは、長らく「大阪天保」と呼ばれました。)
維新が進んでいく中で、大阪商人は各藩の資産を手中に納めます。実例は、南部藩の尾去沢銅山などで、まさに騙し取るという表現がふさわしい手法でした。
歴史の裏を知る者から見れば、大阪人が「維新」を名乗ること自体がウソ臭い話に聞こえます。