6月に、10か月ぶりに県外に出て、三陸に行きました。
その帰りに、盛岡の実家に立ち寄ったのです。
家に入ると、母が筆を揮(ふる)っていました。
母は元々達筆なほうですが、今はボケ防止のために、書と絵をたしなんでいます。
覗き込んでみると、何やら、あれこれ迷っている模様です。
「幸せは 夢や希望の あるところに」
「幸せは 夢や希望と 共にある」
五七調にまとめたいが、うまくはまらないのですね。
私なら、たとえば、「幸せは 夢や希望の そばにいる」って感じかな、と思いつつも、しかしもちろん、それは本人が考え・決めることです。
最初のメモ書きは、「幸せは夢や希望のあるところにやってくると思う」で、これが一番遠くの床に落ちていましたので、これを1枚貰って帰りました。
今は居間の壁に貼ってあり、毎日それを見ています。
確かに、夢や希望があり、それに向かう自分を意識することで、幸せを感じられるという面があります。
自分自身でなければ、家族など身近な存在にとっての、ということですね。
私にとってのこの十か月は、従来の持病に加え、眼疾に悩まされ、さしたる進歩がありませんでした。
道を歩くことは出来るようになりましたが、今も右眼は良く見えず、細かい活字を読むのは日に1時間かそこらが限界です。
しかし、全面的な薬の見直しをはかったところ、ようやく小康状態にはなっています。
外出すらままならぬ状態はようやく脱したようです。
確かに、この先の夢や希望に前進することで、生きる力が湧いてきます。
よし。これなら少しは前に進めそう。
そろそろ活動を再開しようと思います。