日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第527夜 林檎

◎夢の話 第527夜 林檎
 23日の朝6時に観た夢です。

 郷里の母から電話が来た。
「荷物は届いた?」
「いや、まだ着いていない。送ってたの?」
「もう3日前だね」
「なら、どこかで詰まってる。明日くらいには電話したほうがいいよ」
「もう一度送ろうか」
「生物なら3日経てば味が落ちているだろうな。でも林檎は要らない。余るくらいあるもの」
 秋になると、親戚や知人からこの季節の便りが送られて来る。岩手や青森の知人が多いのだから、やはり林檎が中心だ。
家族で食べ、近所で配っても、2箱までが限界で、それより増えると、結局は捨てることになる。
「でも、初競りの最初の出荷だよ」
「それなら使い道がある」
 林檎の初競りでは、最初の箱に百万の値が付く。もちろん、これはご祝儀で、流通業者が、最も懇意にしている生産農家にはずむものだ。
 ところが、初競りには、その農家が同じ林檎の樹から採取した林檎がいくらか出荷されている。こっちは普通の林檎の値段だが、「初競りで百万の値が付いたのと同じ林檎」であることは間違いない。
 そこで、その林檎を1つずつきれいに包み、知り合いに配るわけだ。
「これは初競りで百万円の値が付いたのと同じ林檎です。同じ樹から同じ時に取ったものですよ。1つ3万5千円の価値があります」
 正確に情報を伝えているのだが、貰う方は自分に都合よく解釈するので、「1つ3万5千円の林檎を貰った」と解釈する。
「人は自分に都合の良い話だけを聞く」は、昔から変わらない普遍のルールだ。
 ま、ひとつ間違うと、「詐欺師」と言われてしまうわけだが。

 翌日の朝、4日前の宅急便が届いた。1箱が林檎で、1箱が柿だった。
 オレの家の周囲には、柿の木が沢山生えている。近所から「お願いですから貰って下さい」と各々20個ずつ渡されるほどなので、困ってしまう。
 柿は林檎ほど日持ちしないので尚更だ。
 午後には、知人2人から林檎が1箱ずつ届いた。
「ラッキー。王林なら味が違う」
 2日後の午前中には、叔母から紅玉が届いた。
「さすが叔母さんだ。ふじとかは沢山来るだろうと見込んで紅玉にしたのだな」
 でも、紅玉が一番劣化しやすい。オレは早速、食用のを十個残し、あとはジャムにすることにした。ゆるいジュレを冷やしておけば、色んな用途に使える。
「でも、もう限界だよな。この辺で用途が尽きる」
 何となくもやっとした気分がする。こういう時には予想通りのことが起きる。
 その日の午後には、またもや林檎が2件届いた。これはオレの読者からだ。
「オレの読者はまさに林檎の産地に住んでるからな」
 これは有難い。オレのような偏屈オヤジの書くものを読んでくれている。
 それだけで十分だ。
 
 午後には、例の「初競り百万」の林檎が届いた。これは用途が違うから、別のところに置くが、たぶん、ごちゃ混ぜになってしまうことだろう。
 夕方にはまたも宅急便。ドキッとしたが、三陸のサンマだった。
このタイミングだと、まさに神様のように思える。林檎以外なら何でも良いぞ。

 その翌日にも林檎が届いた。
「おいおい。今年はどうなってるの?もう十五箱だよ。十七箱?」
 玄関には林檎の箱が山と積み重なっている。
 今は玄関のチャイムの音が鳴る度に、ドキッとしてしまうようになった。

 昼飯を食った後、ぼおっとしていると、ここでようやく閃いた。
 「なあんだ。オレんちにはフリマ用のテントがあるじゃないか。駐車場の一角にそれを張って、そこで林檎を売ればいいじゃん」

 ここで覚醒。

 岩手青森の出身者は実際に経験していると思います。
「林檎でも送ろうか」に対する答えは、「ものすごく有難いけど、どうか勘弁して」になってます。

 夢の終わりに必ず眼が覚めるので、今は2時間おきに目覚めてしまいます。しかも全部の夢を憶えているので、それだけで疲れてしまいます。