日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎千秋楽考

◎千秋楽考
 大相撲千秋楽の稀勢の里×白鵬戦をテレビで観ました。
 良かったですね。
 なお、ここで「良かった」と言うのは白鵬の方です。
 白鵬稀勢の里の相撲に合わせるつもりがまったくなく、当初から押し出しで決めようと思っていました。
 力士同士が最も力差を感じる決まり手は、「寄り切り」か「押し出し」だと言います。
 うっかり四つに組んで互角の相撲を取らせたら、稀勢の里が負けた時でも、「優勝したのだから横綱にしよう」という展開になってしまう。
 白鵬が考えたことは、「そうは行くかい」です。
 コイツを1.2秒で押し出し、力の差を歴然と示してやろう。
 それがあの厳しい寄りになっています。
 結果的にはそれが敗戦を招くのですが、こういうせめぎ合いがあるから、相撲は楽しいです。

 あるタレントが、「大人になったら、説教をしたり、自慢話をしたりしないほうが良い」みたいなことを言っていたようですが、何を言っているんだか。

 「ジーサンは小言を言う」
 「オヤジは説教を垂れたり、自慢話を吹聴する」

 これが正しい姿ですよ。
 そういうオヤジジイの姿を見て、若い者は「こんな見苦しいオヤジになるのはやめよう」「こんなヤツは倒してやろう」と考える。
 それと同時に「やってよいこと」「悪いこと」を意識するようになる。

 「そんなことはやめろ」と言うオヤジが少なくなったから、「コンビニのおでんを指でつんつんしても良い。面白いから」と考えるやつが出て来る。
 「この馬鹿もん」と口頭で注意するオヤジがいるから、公共性の「たが」が出来、その結果、相互に暮らしよくなるのです。

 「説教を垂れたり、自慢話をするのは醜い」は、よく言えば「個人主義」で、悪く言えば「事なかれ主義」。
 後者は「自分さえ良ければ」に繋がります。
 それに、そのことで「自分を美しく見せよう」「美しい自分でありたい」ということなので、実質的に自慢話と同じです。
 正直、そのタレントには失望しました。所詮はその程度か。
 お前なんか、独りで散歩でもしてろ。
 
 これに賛同するオヤジたちに言うことはこれ。
 「小言を言い説教を垂れて、他人に嫌われることすら出来ねえのかよ」

 オヤジの示すべきことは「お前らなんか、一瞬のうちに押し出してやる」で良いのですよ。
 それで双方がより高みに達するための道が開けます。
 「自分が」ではなく「お互いに」というのが最大のポイントです。