日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎祈祷師

◎祈祷師

 時々、祈祷師の許で、祈祷によって相談者が亡くなってしまう事件が発生します。
 この事件化したところだけを読むと、状況を見誤ります。

 ごく小さいうちから、誰もが「これはおかしい」と認めるような異常性を示す子どもは、現実に存在します。
 例えば、そういう子は次から次に生き物(猫や犬)を殺したりします。
 前にも同じような事件がありましたが、その子は、夜中に台所から包丁を持ち出して、家の中をうろついていました。
 親に対しても、「そのうち殺してやる」と言った。
 その子は確か3歳くらいでしたが、他の人の前では子ども然とした振る舞いをするのに、母親と二人きりになると、「お前なんかいつでも殺せる」と包丁をちらつかせるのです。

 両親は、これは病気だと思い、病院に連れて行きますが、治療をしても症状がまったく改善されません。
 何軒か病院を回った後で、すがるような心持で祈祷師の許を訪れることになります。
 他の家族から「祈祷によって治った」という話を聞くからです。

 ところが、「霊感」なるものはコンクリートの壁の向こう側でする音を聞くようなものです。
 注意深く聞くと誰にも聞こえるし、逆説的に言えば、誰の耳にもはっきりとは聞こえません。
 すなわち、それは「能力」ではありません。
 その音がどういう音で、誰が立てるのかを滔々と語る自称「霊能者」が沢山居ますが、あくまで想像もしくは妄想に過ぎません。

 ただし、霊感・第六感は本来、コントロールできない性質のものですが、祈祷を何万回もするうちに、いくらかの「念」を送ることができるようになるようです。
 お経やまじないの文言自体に効力はないのですが、「念」には幾らかの圧力があります。
 その圧力に押されて、悪しきものが退散する場合もあります。

 それでも、相手側(悪霊)にとっても、そういう圧力は「壁の向こうの音」に過ぎないので、統制は出来ません。
 もし、効力が生じたとしても、あくまで「たまたま」の領域です。

 それを祈祷師が「自分には特別な霊能力がある」と錯覚すると、余計に状況が悪くなってしまいます。
 何とかしたいと思い、悪霊を苦しめ、追い出すために相談者の体を打擲する。
 それが過ぎて、相談者(この場合は子ども)を殺してしまうわけです。

 親の方は、既に絶望的な状況を経験しているので、子どもが死んでも、祈祷師を責めません。
 ある一面では、それまでの悪夢から解放されるからです。
 少なくとも、両親や祈祷師は「子どもを助けよう」という思いから行動しています。

 ところで、祈祷師の多くは、金銭のことを口にしません。
 相談する側は、もちろん、労力へのお礼として謝礼を持参するわけですが、自分から「寄こせ」と言うことは少ない。この辺りで、どういう祈祷師かは判断できます。
 利益供与を求めないのであれば、「洗脳」とは少し事情が違って来ます。

 現実問題として、「悪霊に取り憑かれた人」を「無難に助ける手段」があるのかどうか。
 (それが悪霊かどうかは話が別で、どういうものであれ、状況を改善させることが出来るのかどうか、という意味です。)
 これは何とも言えないところです。

 テレビの事件報道では「科学的ではない」とコメントしていますが、科学がなんら解決法を見出せないケースは多々あります。