日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第582夜 夢の列車

◎夢の話 第582夜 夢の列車
 8日の午後十時に観た短い夢です。

 我に返ると、電車の中にいた。
 どこか田舎を走る鉄道のようで、2両編成だ、
 窓の外には田園地帯と、線路にごく近く建つ家々が見える。
 「ああ。オレは夢を観ているんだな」
 この風景は、幾度と無く観ているが、いずれも夢の中のことだ。
 オレは最初、上野だか千葉のどこかみたいな駅から列車に乗り、何度も乗り換えてどこかに行こうとする。それから5時間も6時間も揺られるが、結局、目的地に行き着けぬうちに目覚めてしまう。
 その夢を何百回も観ているから、この車内風景が見えただけで、それが夢の中だってことが分かるのだ。
 「でも、いつもオレは、行き先も、自分がその時どこにいるかも知らない」

 夢の中の旅は「人生」の象徴だ。
 人は様々な経験をしつつ、一生を送る。それがまるで、列車の中で移動しているかのように認識されるわけだ。
 そうなると、夢にはっきりした目的の地があるかどうかは、何とも言えない。
 人は「今」しか生きられないから、「これから先」のことなど、想像や妄想に過ぎない。

 3つくらいの駅を通り過ぎた。
 路線か分かるような駅なら良いのだが、どれも聞いたことの無い駅だった。
 「いつもの通りだよな」
 あと1つか2つ駅を過ぎた頃に、きっとオレは目覚めてしまう。

 ここでアナウンスが入った。30歳くらいの若い車掌の声だ。
 「次は永※寺。永※寺。終点です」
 おお。今回はついにこの路線の終点に着くのだな。
 そこが目的地なのか、そこからまたどこかに行くのかは分からないが、ついに駅に降りるのだ。
 荷物をまとめ、降りる準備をする。
 オレがここで周囲を見渡すと、同じ車両には、客が2人しか乗っていなかった。
 ここで覚醒。

 何十年もかかり、ついに終点に着きます。
 「永※寺」がどこかに現実にあったりするかもしれないと思い、「永」「寺」「終点」等であれこれ検索すると、どうやら「永平寺」らしい。
 永平寺線は、既に廃業になっており、もはや駅もありません。
 線路が残っているかどうかは知りませんが、その線路の上を列車が走っていました。
 幾度と無く夢で観た路線なのに、私がこれまで一度も乗ったことの無い路線だったとは意外です。

 手前で乗り換えたのは、4つくらい前の駅なので、たぶん「永平寺口駅」ですねえ。
 これから、どこに向かうのか、知りたいような気もしますが、逆に知りたくないような気もします。
 永平寺は訪れたことがありますので、もし夢の続きを観て、それが出て来たら、いずれ「お寺に入って行く」という意味です。
 謎は解けたのですが、何とも微妙な心持です。