◎長興寺
日曜の朝4時頃、まだ眠りに就いたばかりだったのに、突然、「帰って来い」という声が響く。
潜在意識が語る声だ。
せっかく若い頃の夢を観ていたのに、布団を跳ね除けて起き上がった。
しかし、「帰って来い」って、一体どこの話?
思案させられたが、年が明けてからまだ行っていない場所と言えば、九戸だった。
そこで、少し寝直してから、車に乗り出発した。
「どうせなら長興寺にも行こう」
神社とお寺の両方に行く時には、先にお寺、次に神社と回るのが作法だ。
人の魂の入り口出口なら、まずは入り口から。
長興寺の方はかなり久しぶりだと思う。
ここは九戸一族の菩提寺だった。
山門の脇には、樹齢三百年以上と言われる公孫樹(いちょう)の木がある。
江戸の初期くらいに出た若芽が今も息づいている。
境内に入ると、まったく人気が無く森閑としていた。
観光スポットという色合いではなく、地元の檀家のための寺だろう。
ぴっちり閉まっており、どこで手を合わせるのかが分からなかったので、本堂の前で合掌した。
薩天和尚のエピソードを組み込む場所が無かったのだが、ここで閃いた。
「帰って来い」というのは、そういう意図があったのかと気付く。
ちなみに、薩天和尚は長興寺の僧で、九戸政実の幼馴染だった。
宮野城の籠城戦では、薩天は上方侍に唆されて、城に赴き、「家来共を救うために開城しろ」と説いた。
もちろん、「開城すれば命を助ける」約束は、蒲生氏郷らの嘘で、いざ城門を開いたら、中の者は皆殺しになった。ま、この辺、羽柴軍の悪辣さは当時としても知られていただろうから、政実も知った上で開城したということ。
宮野城では、九戸方五千人全員が殺されたことになっているが、津軽に一千数百、出羽に三千以上の家系が逃げた。こちらは、かなり丹念に郷土誌を調べないと出て来ない。
薩天和尚は、宮野城が炎に包まれるのを見て、後悔の念から自殺した。
ここを「後悔に苛まれて」ではなく、「氏郷を呪いながら」にすると、その後の展開に辻褄が合う。
氏郷は四十になる直前に癌で死んだ。
九戸戦に関わった者の多くは、三代持たずに歴史から姿を消している。