日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎ 「念」の影響力

◎「念」の影響力
昨日帰宅しました。

父の「ただいま」という声を聞いた翌朝のことです。
朝方になり「そろそろ起きようか」と思いつつ、天井を向いていると、唐突に「※※※」(私の名前)と呼ぶ声が聞こえました。
母の声です。
前日に母を病院に入れたばかりですので、家の中で母の声が聞こえる筈がありません。

不審に思っていると、7時半に母から電話がありました。
「私は大丈夫だからね」と伝える用件でした。
少しホッとしました。
そこで、声の件について報告しました。
「昨日は昨日で、親父が玄関で『ただいま』と言う声を聞いたけど、今朝はお袋に名前を呼ばれたような気がした」
実際は「気がした」どころではないのですが、話としてはソフトに言います。
すると、母は「じゃあ、私と一緒だ。私はお前の夢を観たもの」と答えました。

そうなると、あれは母の念が声になって届いたものなのでしょうか。
この何年間かの間、私は生死の境を行ったり来たりしていますので、母は常に心配しているわけです。
「念」は「情」「愛」や「怨」に近い存在で、そのそれぞれを強く持つと「念」に変わります。
また、「念」は波のような力を持ちますが(念波)、これは「霊感」とよく似ています(霊波)。

念波、霊波とも、音波が音叉から音叉へと移るのと同じように、人から人へと移るものなのでしょう。
息子を思う母親の気持ちが声になって届いたのかもしれません。

もうひとつのケースは、霊が「母の声」を騙っている場合もあります。
最初は身近な人の声を使って取り入り、徐々にその相手の心を支配(同化)しようとすることがあります。
まあ、こちらは故人の声のことが多いですので、今回は当てはまらないでしょう。

もちろん、私が父母を案じるあまりに、「自身の頭の中で声を作り出した」ということも十二分に考えられます。
不可思議な現象の9分9厘は何らかの合理的な説明がつくことが多いのです。