日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎宿谷の滝 3回目の祈祷 (344)

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◎宿谷の滝 3回目の祈祷 (344)
 この日は朝から具合が悪く、ほとんど立ち上がれない状態です。
 しかし、夜の間に見られるような心臓の症状とは違います。
 「これって、呼ばれているのでは」
 私を呼ぶのは、母か「穴」だろうと思います。
 何せ母は寂しがり屋で、家に一人では居られませんでした。半月毎に私が帰省して、傍にいてあげる必要があったくらいです。概ね伯母と私が交代で母の傍にいました。

 「ま、行きゃあ分かる」
 無理を押して出かけることにしました。
 私が言っていることがただの妄想でないことを示すには、何かしらの証拠が必要だろうと考え、きちんと用具を持参することにしました。なお、この場合、「妄想ではない」と示す相手は、ほかの誰かではなく、私自身です。妄想でもなく精神障害でもなく「現実だ」と思えなければ、日々を乗り切るのは難しいです。
 特別な道具は不要で、カメラと三脚、鈴(りん)です。あと気休めに根神さまのお守り。
 根神さまは氏神のさらに上の神で、家々によって違います。
 効力は期待できず、ただの気休めです

 やり方は、所々にカメラを置き、傍に座って待つだけです。時々、三脚に吊るした鈴をか触りますが、この時に音が出ます。通常は「カアン」「リーン」という音なのですが、時々、くぐもった音になることがあります。その一瞬が撮影時で、概ね近くに来ています。
 あとはささっと連写で撮影して、さっさと帰るだけです。帰路は鈴をカンカンと音高く鳴らして帰るのですが、たまにまったく音が出ないときがあります。
 こういう時は慌てず、鈴を自分の体に叩くようにして振ると、きちんと音が出ます。

 まずは受け入れてもらうことからなので、ゆっくりと往復して景色を撮影しました。
 「なかなか良いじゃん。威嚇せずに静かに受け入れてくれよ」
 ここで祈願を唱えます。
 「私はあなたの敵でも味方でもありませんが、声を聞き届けることが出来ます。なるべく、お気持ちを伝えますので、その代わり、しばらく私を生かして置いてください。それ以上のことは出来ず、救うことも助けることも出来ません。ただ伝えるだけです」
 
 晴れているのに、煙玉ひとつ出ず、なかなか良い傾向だなあ。
 (曇ったり雨が降ったりすると、ミストの光反射が出てしまい、「煙玉もどき」が前に立ってしまいます。本物は快晴の時のほうが出やすいです。)
 と思ったら、家で確かめると、妙な気配が出ていました。
 最初に、カメラセットの見本を撮影したのですが、被写体のカメラの中の画像には、あれこれ来ているようです。ま、今日のうちのことですので、まだ自然の造形物の中に埋もれています。これは数日すれば鮮明になると思います。
 直接撮影した画像の中には写っていないが、画像の中のカメラには、なにやら出ています。
 同じ位置を並べて見られますので分かりよいです。

 遠目の着物(またはスカート)姿の女性は、いつも何事かを訴えて来る女性です。
 亡くなっている場所は分かりませんが、この地でご供養すれば安らぐと思います。
 あとは「穴」からワンサカ顔を出しています。
 もちろん、これら総てが「ただの妄想」で、画像も「気のせい」である可能性が高いことを記して置きます。そう思える方が楽ですね。

 記録用の撮影セットは、どなたでも実践出来ますが、あまりお勧めできません。
 自ら近寄ることと同じなので、やっかいな事態に至ることもあります。
 いざそうなると、誰も助けられません。
 これくらいまでが公に出来る限界かとも思います。もちろん、霊感の立った人なら、ごく入り口です。
 あくまで自己責任となります。

 帰路は高麗神社に参拝しました(344)。
 トラはめっきり年老いて来ました。