◎夢の話 第669夜 公園のベンチで
21日の午前2時に観た夢です。
改札を出ると、そこは夜の街だった。
もはや11時近くだから、人はほとんどいない。
ここはベッドタウンで、駅前商店街も少しだけだった。
百辰曚品發と小公園がある。
その前を通り掛かると、公園のすぐ入り口のベンチに人が座っているのが見えた。
入り口のゲートの小さな灯りがその男を照らしている。
「あ。あの男は」
40歳を少し過ぎた位のその男に、私は見覚えがあった。
この男が歩いているところを見たことがあったのだ。
男はベンチに深く腰掛け、頭を落とし項垂れている。
「あれから良いことなんて何ひとつ無かったろうな」
私は自分の家の玄関先で、その男が前の道を通り過ぎるのを見た。
その時、私の目の前で男は一人の女とすれ違ったのだ。
女は三十台で、紺色の大人しい色の着物を着ていたのだが、男とすれ違いざまに男の肩に飛び乗った。
肩車をするように、両脚で男の首を太股に挟んだのだ。
「あっ」
突然のことに、私は思わず声を上げてしまった。
男がよろけると、体が半分こっちを向いたが、女の着物の裾が割れ、白い太股がぐいぐいと男の首を締め付けている。それが私にもはっきりと見えた。
それが見えていたのは、ほんの数秒の間だった。もしかすると、1秒も無いかも知れぬ。
女の姿が不意に消えたことで、その女が「けして生きた人間ではない」ことが分かったのだ。
それが3年前の出来事だった。
私はベンチの男の後ろを通り過ぎようとした。
その時、男は私に背中を向けていたが、「はああ」と溜め息を吐いた。
五歩六歩と足を進めたところで、どうしても我慢出来ずに私は後ろを振り向いた。
すると、男が座っているベンチの隣には、もう一人、人が座っていた。
やはりあの女だった。
「やっぱり。すっかり取り憑かれているのだな」
だが、新しい発見もあった。
私はその女が80年くらい前に死んで悪霊になったやつだと思っていたのだが、少し違っていた。
この街でそいつのことをよく見掛けたので、私はその女のことを「縞女」と呼んでいた。いつも縦縞の着物を着ていたので、縞女というわけだ。
姿かたちはその女に似ているのだが、しかし、どこか違う。
着物の色や模様が違うし、第一、これがあの縞女なら、その男はとっくの昔にとり殺されている筈だ。
「ということは、何か別のやつなんだな。だが、あの人は相当そいつに苦しめられている」
そりゃそうだ。
ここで私の頭に、その女の白い太股が蘇る。
むっちりした艶かしい脚だった。
「色っぽく見えるのも、もしそれが生きた人間なら、という話だ」
私はその場から遠ざかろうとしたが、しかし、自然と足が止まった。
男の落胆した姿を見て気の毒になったのだ。
「ええい。仕方ない」
そこで踵を返し、公園に戻ることにした。
「ねえ、あんた」
声を掛けると、ゆっくりと男が顔を向けた。
「ずっと酷いことばかり起きるだろ。奥さんとの関係もそうだし、会社でもやることなすこと上手く行かない。良かれと思ってやったことでも、総てが裏目に出る」
ぶしつけな話だが、男の現状が肩を叩いたのだろう。
「本当にそうです。まるで良いことがない」
「そうだろうと思うよ」
「総てを放り出してしまいたいくらいです」
「だが、出来ない」
ここで私はピンと閃いた。
「なるほど。あんたが勤めているのは、奥さんの父親の会社だ。その会社で専務とか部長とかを務めているのだな」
「どうしてそんなことまで分かるんですか」
「ただの推測だよ。私が分かるのはいわゆる霊的なことだけだ。普段の暮らしのことは推測してるだけ。奥さんと上手く行かないのに、会社に行った時の方がよほど我慢が必要なようだ。すなわち、奥さんもその会社にいて、奥さんの立場がダンナより上ってことだ」
「そうです。妻は社長で、義父が会長をしています」
「奥さんは最初のうちは大人しかったが、齢を取るにつれて本性を現してきた。毎日がなりたてるし、他の社員の前でもあんたをけなす。浮気がばれてからはなおさらだろ」
「何でそんなことまで」
「そりゃ誰でも家にそんな女がいれば、外に安らぎを求めたくなるものな。でもそいつを待っているんだよ。奥さんもそこの人も」
「え。そこの人。そこの人って何ですか」
イケネ。まだ早かった。しかし、そいつを伝えたほうが話が早い。
「いや。あんたは取り憑かれているんだよ、女の霊に。死霊なのか生霊なのかはまだ分からんがね」
男が慌てて隣を見る。
もちろん、そこには誰もいなかった。
「勘弁してくださいよ」
「でも、何か感じていただろ。変なことがあった筈だもの」
すると、男が考え込んだ。
「誰かの気配があることは感じていました。誰も居ない部屋で音がしたり、どこか人の気配があるのです」
「そいつはあんたの人生を壊そうとしてるんだよ。そして自殺に追い込む。それが目的だ」
「ではどうすれば良いのですか。もうほとほとウンザリなんです」
答は簡単だった。
「別れることだね」
「でも、女房と別れたら、私は会社を辞めなくてはなりません」
「それは後の話。まずは愛人と別れることからだ。だって、あんたに取り憑いているのは、その愛人から出ているんだよ」
「え。そんな馬鹿な。気立ての良い娘ですよ」
「その娘は関係ない。もう何代も前から、そこの家族は祟られている。お父さんはいないだろ。おそらく聞いてはいないだろうが、そのお嬢さんの父親は首を吊った。とり殺されたんだよ。それは悪霊を祓わぬ限り、いつまでも続く。霊には頭も心も無く、念があるだけだからな」
男はここで困ったような笑いを漏らした。
「私は『奥さんと別れて、人生をやり直せ』と言われるかと思っていました」
「そりゃ、また後の話」
「え」
「まずは愛人と別れて、その後で奥さんとも別れる。女っ気を断つだけで、自然にあんたに取り憑いたモノが離れる。もはやつまらんからな。あんたは総てを失うが、そこでまた総ての悪縁からも解放されるんだよ」
「そうですか。そうなんですかあ」
男は下を向き、再び肩を落とした。
「今は首を吊って、総てを終わらせたくなっているだろ。そういう気分はあんた本来のものではなくて、悪霊がもたらしている。心持ちが悪霊と同じになっている。悪霊と同化しているんだよ。それから逃れるためには、その通りにするんじゃなくて、根を断ってしまえばいいんだよ。昔の人はそのために出家した。総てを捨てて寺に入れば、悪縁も断ち切れた。今はお寺が誰でも受け入れてくれるわけではないから、ただ捨てるしかない」
「・・・」
私の出来ることはここまでだ。あとはこの男自身が決めなくてはならない。
「じゃあ、言うべきことは言ったから、私はこれで失礼するよ」
「はい。なるべく頑張ってみます」
立ち上がって、再び道に戻る。
歩きながら、今の男のことを考えた。
「そうは言っても、もはや立て直すのは難しいだろうな」
四五十メートルほど進んでから後ろを振り返ると、男はまだあのベンチに座っていた。
そして、その隣には女が座っていた。
女は男の首根っこにかじりつく様にして、男の体にしがみついている。
「こりゃ厳しいな」
目つきが異様だ。「あらぬ方向を向いている」とはこのことだった。
強いて言えば、狂人の視線に近い。
だがここで、女が私のほうを向いた。女の目の焦点が私に合ったのだ。
女は心の無い冷たい目で、私のことをただじっと見ている。
ここで覚醒。