日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎宝くじのからくり

◎宝くじのからくり
 ロト7が3週連続キャリーオーバーになった。
 陰謀説に立つと、次回は1等が2口出る可能性が高い。
 1口は本当に当てている人がいるが、もうひと口は胴元だ。
 あと1週キャリーオーバーだと、問答無用で胴元が回収にかかると思う。

 従来型宝くじ、例えばジャンボなどでは、空番を用意する手法が使える。

 売り出したくじが全部売れるわけではなく、戻り分が生じるが、これが当選した場合、引き取り手がいないので、胴元のアガリになる。
 これは合法的な回収方法だ。
 「当たり番号は出たが、引き取り手がいない」
 胴元にとって、これほど望ましい状況はない。よって、それを作ることを考える。
 方法はこうだ。
 例えば、100組各百万枚を売り出す。
 この他に、100組分の空番を用意する。
 抽選して、売り出したくじに当たりが出ればそのまま払うが、空番が当たれば、引き取り手がおらず、胴元の懐に入る。
 くじを印刷する必要もないので、効率的だ。
 かつて、胴元はネットでジャンボくじを買えるシステムを公開したことがあるが、「組が割り当てられていて、くじ番号は買い手が自分で選べる」という内容だった。
 たぶん、そこで「実際の発券番号の他に空の番号を割り当てておく」という手法を覚えたのだろう。
 (ここは、不正が出来る環境では「必ず行われている」という仮定に立つ。以後はそれを前提とする。)

 「百万円以上の当選者が賞金を取りに来ない」ケースは、毎年何百件もある。
 宝くじを買う人は当てたいから買うので、「買った後に点検を忘れてしまう」ケースが何百件もあるとは考え難い。
 「そもそも当たっていない」と見なした方が分かりやすい。

 ロトはもっと簡単だ。
 賞金配当が1等に特化しており、こいつは滅多に出ない。
 5回に1回も出ないはずだが、何故かソコソコ出ている。
 「溜まったところで、回収にかかっている」可能性がある。
 操作の必要はまったくなく、当選番号が決定した後に、本来、「当選者なし」のところを、「ひと口当選」と公表してしまえばよいだけの話だ。

 かつての「富くじ」(江戸時代)の抽選方法は、番号を書いた木札を箱に入れておき、上から槍で刺して選んだ。
 この時に、実際に売った番号の他に空番の札を入れておけば、刺し方を工夫しなくとも、胴元持ちの札に当たる可能性が生まれる。毎回、胴元が回収していては、いずればれるが、「時々」なら分かり難い。

 日本のシステムでは、ロトの高額当選者は公表されない。
 要するに何でも出来るということ。
 米国では、キャリーオーバーが何百億の桁になるので、必ず当選者の氏名を公表して「不正を行っていない」ことを証明する。
 セキュリティの問題が出そうだが、百億の金が入るわけだから、ガードマンを雇えるし、有名人過ぎて狙いにくくなる。

 これまでは、公共事業的な分野では、不正を疑う必要が無かった。
 「公正に行われている」と、皆が信じていたからだ。
 ところが、今やその信頼関係も幻に変わった。
 国の中核たる財務省が、自ら公文書を書き換えていたとなると、日本の中で信頼出来るものはどこにもないということだ。
 今後は宝くじの売り上げと配当に至る流れを、こと細かに点検する必要がある。

 斯様に、佐川氏の犯した罪は計り知れないものがある。
 どの国でも「公文書の不正」は重罪なのに、誰一人逮捕されていないことが、更なる不信感を招く。
 行政に対する不信感を増大させたという意味で、この政権は戦後最低だと思う。

 こう書くと、この1、2年の風潮では、「不正が行われているという証拠を出せ」と言われるだろう。
 だが、話はまったく逆で、しかるべき当事者(宝くじの場合は胴元)が常に「不正が行われていない」という状況証拠を公開する必要があるのだ。

 どこかの総理大臣みたいに、「していない証拠は出せない」と開き直り、それが通るなら、この世の犯罪者の半分はいなくなる。証拠の大半が「何故か見つからない」時点で有罪だ。
 本当に当選者が出ているのか、第三者に監察させるシステムが必要だろう。そうすれば、少なくとも疑われなくなる。