日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎今日の秀吉小話

◎今日の秀吉小話
 テレビを観ていたら、占い師がある人の手相を見てこう語っていた。
 「掌の中央を上から下に真っ直ぐ線が通っているのは、非常に運の強い方です。豊臣秀吉もこの手相でした」
 おいおい。
 戦国末期に「手相見がいて、秀吉の手相を実見し、その記録を残した」ということ?
 もし実在すれば、もの凄い資料だ(笑)。

 ま、後代になり、当時のものであるかのように装した偽偽文書くらいはあるかもしれん。
 当方でも「松永弾正の書簡」くらいは持っている。
 松永弾正の「曲者ぶり」が好きなので入手したが、もちろん、偽文書だ。
 筆跡は誰か別の人が書いている。

 人物伝みたいな話の多くは、後の人が勝手に作ったもの。
 いまだに「木下藤吉郎(秀吉)は信長の草履を温めた」みたいな話を実話扱いする人がいるのには驚きだ。
 それは『太閤記』(江戸期の物語)以降に語られた作り話だよ。

 ここで小話をひとつ。

 ある冬の寒い日の夕暮れのこと。
 ソン社長が料亭から外に出ようとすると、新入社員が玄関口で待っていた。
 新人は社長と眼を合わせないようにして靴を差し出し、こう言った。

 「社長。今夜は寒いですから、社長の靴を懐に入れて温めて置きました」

 するとソン社長は即座にこう答えた。
 「おい。うちの会社にご機嫌取りは要らない。お前はクビだ」

 まっとうな感覚を持つ社長なら、たぶんそうなる。
 織田信長なら「気色悪い」と藤吉郎を蹴り倒しただろう。

 取り巻きのおべんちゃらを喜ぶようなヤツには、天下など取れない。
 でも、総理大臣にはなれる。(と、最後に毒を盛って置く。)

 追記)
 仮に秀吉の前に行き、手相を見せてもらったとして、少しでも意に沿わないことを言ったら、その手相見は即座に首を刎ねられた。
 実際にこんなエピソードがある。
 奥州仕置きの際に、各地で一揆が起こったが、大崎の浪人某が「関白さまが手古摺っておられる一揆をそれがしが平定してお見せする」と自らを売り込んだ。
 その言葉を伝え聞いた秀吉は、「その者は本当にそう申したのか」と確認すると、即座に聚楽第の前で、浪人の首を刎ねさせた。
 秀吉は「手古摺っておられる」のひと言が気に入らなかったのだ。