◎心霊写真の真贋
テレビやネットに出ているこの手の画像・映像は、基本的に作り物です。
99%以上は、誰かが改変したもの。
いわゆる心霊写真は、そこに居ないはずの人影や体の一部が写りこんだものですが、原則として霊は「自然の造形を利用して現われる」ことが多いです。
このため、「霊のようにみえる」程度のものが実は本物だったりします。
太陽光の下で撮った風景の中に紛れ込んでいる場合は、画像を拡大したり縮小してみると、かたちが崩れ、はっきりしなくなります。これが本物。
フェイクの場合は、拡大してもそのままのかたちを保っています。
輪郭が鮮明だったりするのは、画像を重ねているから。
「それっぽく見えているだけ」と言われるものが本物で、「いかにもそれっぽい」ものはフェイクのことが多いわけです。
それでも、画像は上手に加工できますので、「誰か別の人」が撮影した画像の真贋は、見た目では判別できないこともあります。目で見える物が真実とは、もちろん、限らない。
信じられるのは、結局、自分が撮ったものだけです。
光源の角度とも関係していますので、室内で撮影したものは、「どの位置で撮ったか」なども参考になるようです。
ただし、それが「本物かどうか」という発想は、好事家的関心によるものです。
メディアに出したい・出せば報酬が貰える等の事情から、偽物を作ったりするわけなので、これを追及することには左程の意味はありません。
確実性の高い本物について、「何故写るのか」「どういう状況で写るのか」を考究することに意味があるのです。
これは、あくまでこの方面の考究が、「ひと(または自分)が死んだらどうなるのか」「どこに行くのか」という問いに対するアプローチであるからです。
画像は、このところ継続して掲載しているものですが、拡大すると、むしろ表情が鮮明ではなくなります。これは周囲の明暗を利用して、自身を現しているからです。
これがフェイクでないのは、「私自身が撮ったもの」であることで明らかです。
他人がどう見るかはどうでもよく、自身が分かっていればそれで宜しいわけです。
メッセージは専ら私に向けられており、他の人に対してではありません。このため、他人がそれに同意するかどうか、理解するかどうかはどうでもよいことです。
私が知りたいのは、自分自身が「死後、どうなるのか」ということで、他の人のことはどうでもよいのです。
「死後の存在は無い」と思う人はそう考えればよろしい。そういう論争は時間の無駄です。
「何かがあるのかも」と考える人には、幾らかは情報を提供できると思います。