


◎検証は難しくない
最近はバックデータとして、撮影環境が分るような証拠画像を収録している。
1、2秒しかずれていないので、「偶然、人の姿が映り込んだ」という説は、これで否定出来る。
周囲に人気がない状況で窓を撮影したのだが、ガラスには撮影者(私)のすぐ右前に女性の姿が映っている。
もちろん、これと同じフェイク画像を作るのはそれほど難しくなく、「撮影者(ここでは私)の右手前に誰かに立って貰い、前方にズームインする」ことで同じような画像が撮れる。
しかし、撮影の目的は「受ける」ためでも、「理解を求める」ためでもないので、フェイク画像を作ることには何の意味もない。
これを見た人がどう思うかはどうでもよく、目的は「死後の存在が本当にあるのかどうかを自分自身で確かめる」ところにある。
これまでのところ分っていることは、どれくらいの期間かは分らないが、「死後も自我が残存する」のは確実だということだ。
そのことは「生前の怨恨を残しているかどうか」ということとは、あまり関係が無いようだ。「恨みを残して死んだから幽霊になる」のではなく、「誰もが幽霊になる」のだ。
そうなると、幽霊(残存自我)は、怖ろしいもの(または状態)でもなんでもなく、万人が必ず通過するステップ(途中経過)に過ぎない。
死生観について、これまで語られて来たことは、概ね実態とは違う。
全面的に改める必要がある。