◎ついに確証を得る(476)
所用で外出した帰りに、いつもの神社に参拝した。
月曜の昼下がりで、夜には雪が降る予報の通りにどんよりと曇っている。
参道の先には数国の参拝客がいたので、ゆっくりと歩き、人気が無くなるまで待った。
「ま、こんな天気では何も起きる筈がない」
それでも、きっちりと証拠を固めて置くべきだから、周囲の状況を画像に収めた。
参拝客が去った後で、もはや神殿前に人はいない。
正面に立つと、「シャイニング」が起きた。
ちなみに、光のハレーションのことをこう呼ぶことにした。「サンシャイン」のシャインで、周囲が一瞬、眩しく輝く。ファインダの中は真っ白だが、肉眼でも眩しく感じる。
これが去ると、次は煙玉様の霧だ。これは水蒸気に光が当たった時に見えるものとほぼ同じだから、正直、区別がつかない。ただ門の下など日陰に入っても、また太陽と逆向きでもファインダに見える。真下を向けても写る。
「こんな天気でも出るのか」
半信半疑で、遠目から撮影した。
その最初の一枚目だ。
この日は完全に人気が無くなってから撮影したのに、ガラスに男の姿が映っている。
何やら銀色の制服を着て、ヘルメットを持っている。
「たまたまそこにいた人が写り込んだだけ」と思うかもしれないが、真実はヘルメットで分かる。
このヘルメットは、カーレース用でもバイク用でもなく、大型の「いかつい」つくりになっている。
・戦闘機パイロットの被るヘルメット
・消防隊員の防火服のヘルメット
・宇宙飛行士のヘルメット
このいずれかだ。
もし「たまたま消防士が参拝していたのだ」と言い張る者がいれば、頭がどうかしている。
駐車場で画像を開いた時に、元画像はかなり遠目の撮影だったのだが、すぐに目が止まった。
他のものはいつも通りで、「気のせい」や「妄想」で片付けることも出来るのだが、このヘルメットの男性は動かし難い現実だ。
「ああ良かった。俺はただの変人ではなく、紛れもない本物だった」
帰路はすこぶる納得して帰った。
他の画像は大したことはないし、普通の可視範囲の者には見えない。
私の周りには、たくさん集まっているのだが、もはやこいつらも身内同然だろう。
これで安心して、人事に掛かり切りになることが出来る。
1年も寝たり起きたり同然だったから、金欠が進行した。当面は死ぬことはないのだから、金儲けに走ろうと思う。人事なら、神仏に頼ることなく、努力で何とかなる。
死後も自我は一定期間残存するが、きちんとした物理的存在でもある。
幽界の住人(幽霊)は正確には、「残存自我」であり、かつての人生の名残だ。
実態として存在しているが、しかし、生きている人間には知覚し難い。
このことについて、他の者がどう考えるかは、「どうでもよい」こと。
この日、私はその場にいて、確たる証拠を得た。もちろん、その場にいない者には証拠にならないし、これを信じる必要もない。
私の務めは「亡者を救うこと」であり、生きている者を満足させることでは無い。
生ける者には、「自らを救う者だけが救われる」というルールがある。