◎聖天院でご供養(361)
外出すると、行く先々で何かを「拾って来る」ようで、すぐに体が重くなります。
1週間ほど岩手に行ったりもし、肩から腰からずっしり重いので、ひとまず聖天院から高麗神社のローテーションでご供養巡業に回ることにしました。
聖天院に着き、階段を上ると、どういうわけか、すいすい登れます。いつもは5回は立ち止まるのですが、今日は途中の踊り場?で1回だけです。
「こんな具合が良いのは十数年ぶりかもしれん」
ところが、罠はこういうところにあるようで、上に着いたら、途端に具合が悪くなりました。
この日は比較的暖かだとは言え、冬に急な運動と、心臓病持ちには厳禁行為を重ねているわけです。
手足が動かなくなり、縁石に座り込んでしまいました。
「イケネ。ニトロを忘れて来たよ」
急な階段があるせいか、平日にはほとんど人が来ません。
社務所にも人気が無いので、このまま動けなくなっても、見つからぬまま1時間くらいは経ってしまいそう。
結局、30分くらい座っていたら、立てるようになったので、ヘロヘロと寺を出ました。
高麗神社ではヨレヨレのまま参拝し、そそくさと帰宅しました。
現世の者から見ると、お寺は入り口で、神社は出口に当たります。そうなると、参拝参詣の順番は、 「まずお寺で下ろして、それから神社で祈願する」となります。
私の場合は「お寺で下ろして、神社でも下ろす」となりますが、この辺は致し方ありません。
今日は「黒いひと」も女の顔も浮かばず、非常に良かったのですが、ま、昼の時間帯で太陽の角度が違うので、当たり前ではあります。
何とか算段をして、3月28日のヤマを乗り越えたいもんです。そこを越えられたら、半年一年は持つのではないかと見ています。
他の人にとっては空想や妄想の世界なのですが、私には現実そのもの。立ち向かうものが多くて、本当に毎日が大変です。
追記)
ありゃりゃ。聖天院の本堂の最左の柱の後ろには、煙玉が出てますね。供養党の方に「穴(扉)」が見えないと思ったら、こっちに移動していたようです。祭壇の右のほうにもこれから開くところです。
正面の焼香場の上に四角いのが見えますが、ガラスが立ててあるのです。これに自分の顔が入るように立ったのですが、やはり連れて来てますね。
ここまで来ているなら、私にくっついているよりも扉のほうに行ってくれることを願います。
高麗神社のガラスに映る人影は、実際に立っている人のものです。
フラッシュの光が私。
今日はいないかと思っていたのに、しっかり顔が出て来てますね。
こりゃ難題だ。
キモいので拡大は止めときます。
ちなみに、画像に何かが写ったり、幽霊が直接現れたりすることなど、もはや「屁でもねえ」という感じです。今は生き死にの懸かる局面なので、そっちを切り抜ける方が重要です。