日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

ある日の家族の風景

夕食を作っているときに、急激な腹痛が差し込んだ。
イテテテ。また膵炎か。膵炎は私の持病で、既に慢性化している。
トイレに駆け込むとすぐに下痢が始まる。同時に激しい吐き気。
腹痛の場所はいつもの場所と異なり、へその周辺だ。
あれれ、食中毒か。しかし今日はまだ何も食べていない。
てことは、この激しい痛みだと盲腸炎ではないか。

てなことを考える間もなく、痛みに耐えられなくなってきた。
トイレを這って出たけれど、全く歩けず、ドアの前で横たわる。
「おおい、誰か」
次女が寄ってくる。
「救急車を呼んでくれ」
次女は居間に戻り、妻に伝えている。
妻はちらっと見に来るが、「お酒の飲みすぎじゃないの?」。
そのまま居間に戻ろうとした。
「おい。救急車を呼んでくれと言ってんだろ!」

しかしあいつらは呼ばない。一つ屋根の下で暮らす同じ家族だろうに。
ああ、オレが死ぬ時はこういうケースで、道端とかで誰も助けを呼んでくれずそのままくたばるんだろうな。
きっとそうだ。

ふと気づくと、息子だけが父親を心配しそばに座っていた。
「枕と毛布を持ってきてくれ」
小3の息子は健気にも1人だけで枕と毛布を引っ張ってきて、父親に掛けた。

それから1時間の間、何度かトイレに這って行きつつ、やはり廊下で寝ていた。
息子がやはり何度か見に来て、どうしても心配になったのか、田舎の婆ちゃんに電話を掛けている。
「盲腸ってこんな症状じゃないかと聞いてくれよ」と息子に声を掛けた。
相変わらず痛くてたまらん。

息子が妻に電話を渡し、妻が婆ちゃんと話をしていた。
(どの辺が痛いの?):ちなみに、スピーカーにしたので遠くで聞こえる婆ちゃんの声だ。
「どこが痛いのって聞いてる」と妻。
「ヘソの回り全体が痛くてたまらん」
しかし、妻はどこをどう聞き間違えたのか、「ケツの周りが痛くてたまらないと言ってます」と伝えている。
この部分、作り話のようだが本当だ。妻は外国人で、細かい日本語は聞き取れない。
外人をカミサンにするんじゃなかったな、とこの瞬間、しみじみ後悔した。

(子どもたちにうつらないよう、そのトイレは使わせないように。お父さんのそばにも寄らせないで。)
婆ちゃんの方も、息子が赤痢とかO157じゃないかと思ってら。
(救急車だと近所に聞こえるから、タクシーで病院に行けば良いよ。)
ああ、婆ちゃん。お前もかよ。

それからさらに1時間ほど廊下で唸り通しで、ようやく起きられるようになったけど、まだ腹痛自体は続いている。
この間考えていたことは、「いつ死ぬかわからんのだから、今後は極力伊藤博文路線でいかねば」ということだった。
伊藤博文路線っての?大人の女性なら片っ端から口説くってことです。
DMだって2千通位出せば、3本は引っかかる。風采の上がらない中年オヤジだって、DMよりはましだろう。もちろん相手を選んだりしないわけだし。

具合が本当に悪くなると、考えることもこんな風におかしくなるようだ。
少し快方に向かったら、「さっきは何であんなこと考えてたんだろ」と不思議に思うが(しかも1時間以上も)、死に間際もきっと同じようなものだろう。
腹痛を抱えての妄想の中では、「いよいよという段となり病院に運び込まれたら、とりあえず若い看護士のケツでも撫でよう」とも考えていた。
往生際ではやはり死にたくなくて、生きることの象徴ともいえる食や性にしがみつくわけだ。

実際、今日はホントにお陀仏かと思った。
夫や父親の体調が悪いことを全く理解できないくらい、頼り切っている家族。
子どもの頃は、私自身、「父が体を壊すことがある」ことなど全く想像しなかったものだ。
なるほど。