日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

またもやドアが開かない

年末年始で帰省していた時のこと。
郷里の実家に入ったのは、もはや年越しまで1時間の時です。
家族が交替で風呂に入っているうちに、新年を迎えました。

新しい年が始まって1時間くらい経った時、高校生の息子がトイレに立ちました。
しかし、息子はすぐに居間に戻って来ました。
青ざめた表情です。
「トイレに誰かいる。鍵が掛かっているし、中でゴトゴト音がする」
爺婆は既に就寝しています。

私は老父のお腹の調子がイマイチだと聞いていました。
「お祖父ちゃんじゃないか。お腹の調子が悪いようだし」
爺婆の部屋を覗いて、寝ているのが1人だけなら、扉が開かない原因は「下痢」でしょう。
「音を立てないように覗いて来い」

息子は爺婆の部屋のドアを静かに開き、中を覗き込みました。
すぐにまた駆け足で戻って来ました。
「2人ともいるよ」
私たち夫婦や子供たちは、全員揃っていました。

「じゃあ、トイレの中にいるのは誰?」
息子はすっかりビビッています。

しかし、当家では「ドアが開かない」事態は、比較的頻繁に起こります。
つい先月も、玄関や車のドアが開かなくなってます。
もちろん、鍵が掛かっていない状態で、ということです。

私がドアノブを触ると、確かにがっちりと鍵が掛かっています。
この扉の鍵は重く、ぐるっと回転させないと掛かりません。
このため、トイレに入る時、扉に鍵を掛ける者は、家族の中に1人もいません。
老母がきれい好きで、いつもトイレは清潔に保たれていますので、誰もいない時は扉自体が半開きになっています。このため、「誰かが入っている時は閉まっている」「誰もいない時は半開き」と区別できるのです。

ここに次女が来ました。
次女は実際に幽霊を見たことがありますが、どちらかと言えば現実的な方です。
「家が古くなると歪みが出るから、扉が引っ掛かるようになる。あとは乱暴な使い方をしていて、鍵が壊れることもあるよ」
しかし、ピクッとも動かないところを見ると、鍵は完全に一回転させてありました。
「じゃあどうやって開けようか」
「ドアが開かないのは何故か」という問題はさておき、ひとまず息子や妻は用を足したくて仕方ありません。
「仕方ないから、外でしてくれば?年越しでお酒を飲んだ後だし、これから車に乗ってスタンドに行くってことも出来ないんだから」
「え~」
「外は雪だよ。〇〇(息子)はともかく、私は雪の中でお尻を出さなくちゃならなくなる」
「だって、仕方ないだろ。とりあえず回りを水で流して置けばいい」

この時、扉の向こう側で、ごとごとと人の動く気配がしました。
息子の言った通りです。
(ありゃりゃ。こりゃ本物だ。何か伝えたいことがあるのだ。)
前に幾度も経験していますので、それほど驚きもしませんでした。

「ここじゃないが、家じゃ時々ドアが開かなくなるだろ。それなら、15分も待っていれば自然と開くようになる」
いつも、概ねそれくらい経つと、玄関や車のドアは開くようになります。
さすがにこれは自然現象やドアの不具合では説明できません。

問題は用を足したくなっている息子と妻です。
息子は慌てて、居間のキャビネットの引き出しを探し、工具を見つけました。
すぐにトイレに走り、扉のネジを緩め、それを開くことに成功しました。
怖さよりも、おしっこを我慢する方がキツかったようです。

翌朝、食事の時にその話題が出ました。
息子が「完全にビビっていた」という笑い話です。
良い機会なので、息子に教えました。
「トイレやお墓を恐がらせるのは子ども向けの怪談だ。清潔に保たれているトイレや、整理整頓されているお墓には、悪霊の類は絶対に出ない。そういうのは、この世で一番静かなところなんだよ」
1度そのことを悟ると、怖れをまったく感じなくなります。
悪霊が顔を出すのは、生きている人が多数出入りする場所や生き死にの境目の場所で、学校や集会施設、病院など、「とにかく人が沢山いるところ」です。
(「廃病院」や「廃校」などではなく、現実に人が出入りしている施設の方です。念のため。)
私は高校生くらいの時にこれを知ったのですが、その後は実家の商店の仕事が終わった後、夜中の11時過ぎに独りで墓参りに行っていました。
郷里のお墓は山の中にありますので、周囲1キロくらいに人はおらず、人家もありません。
怖いのは、そこには灯りがまったく無く足元が見えないので、何かに躓いて転んでしまうことだけです。

さて、扉を閉めていたのが邪なものでないとすると、何かの「お知らせ」かも知れません。
これに老父が気づきました。
「おいおい。まさかオレにお迎えが来てるんじゃないだろな」
この2週間、老父は風邪がもとでお腹を壊したままです。
ほとんど寝たり起きたりの状態でした。

もちろん、それは違います。
もし「お迎え」に限らず、何か「お知らせ」が来ているとすると、それは老父ではなく私の方です。
なぜなら、扉が開かなくなる類の不審事は、「常にその場に私がいる」時にだけ起きているのです。
やはり、十分に気を付ける必要がありそうです。