日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎扉を叩く音 (続)

◎扉を叩く音 (続)
 「毎年、秋から冬にかけて、深夜、玄関の扉を叩く音がする」話の続きです。
 本来の主旨ではありませんが、それに近い話です。

 これは昨日のこと。暗くなってから帰宅したのですが、家まで30辰竜?イ泙廼疉佞と、家の前の灯りがパッと点きました。
 「あれは・・・」
 思わず足が止まります。
 点いていたのは玄関の照明ではなく、足元で光る動作感応式のライトでした。
 冬の夜中に、時々、扉をノックされるのですが、「誰か」が近付いた時に灯りが点いたら、その「誰か」を止める抑止力になるだろうと思い、置いているのです。
 それが2つとも点いていました。
 まだ家まで距離がありますので私自身を感知したものではありません。これが反応するのはせいぜい5メートルの範囲内です。
 敷地の手前まで行くと、一旦消えたのですが、また点きました。
 母の初盆が近いこともあり、つい声を掛けてしまいます。
 「お袋か?お袋が来たのか?」
 もちろん、返事をする者はありません。

 家の中に入り、家族に報告しました。
 「今、お祖母ちゃんが来たようだよ」
 すると、家人が頷きます。
 「最近、電話も来るからね。お祖母ちゃんは寂しがり屋だったから、まだ近くにいるのよ」
 家人によると、このところ、家に無言電話が掛かるらしい。調査会社の抽選で当家の番号が当たっているらしく、政治や商品のリサーチも来るのですが、携帯電話から掛かるときもあるようです。リサーチは携帯は使いません。悪戯電話を携帯ですると、すぐに犯人が特定されてしまいますので、よほどのおバカで無ければこれも考え難い。

 「携帯からこの家の電話に掛けるのは、お祖母ちゃんしかいないからなあ」
 そう言えば、洗面所の扉も開かなくなったっけ。
 母が亡くなった2日後に実家のトイレの扉が開かなくなったけれど、トイレに鍵を掛けるのは母しかいませんでした。
 その時と同じ事が当家でも起きたのです。
 ちなみに、当家の洗面所の扉には鍵がついていません、鍵を掛けられない扉が開かなくなったのです。ま、5分ほどで、難なく開くようになりましたが。

 「せっかく来たのなら、声を掛けてくれればいいのにね」
 でも、それは無理です。よほど念が強くなくては、ひとに働き掛けることは出来ないのです。
 冬に聞こえるノックの音は、ほとほと迷惑ですが、もし母が訪れてくれるなら、そちらは大歓迎です。
 初盆が近いこともあり、頻繁に母のことを思い出します。

 こういう感じのは、主に願望であり、想像、妄想の域の話なのですが、それだけ「愛情がある」ことを示すものです。霊感の9分9厘は妄想です。
 何ひとつまともなことを返せなかった息子としては、つくづくもう少し長く生きていて欲しかったと思います。

 ちなみに、当家では冬の夜に玄関を叩く音が聞こえるのですが、これは私のいる時にしか起きません。 それでは、私の妄想なのかと言うと、私と一緒にいる者の耳にもきちんと聞こえます。
 そうなると、けして「空耳」というわけではないですね。
 要するに、人を選んで起きるもので、先方が何かを語り掛けているという意味です。
 「聞く耳がある」と感じるから、声を掛けて来るのです。