年末年始に温泉に行きましたが、昨夜遅くに帰宅しました。
これは途中で休憩し、20分ほど仮眠を取った時に観た夢です。
私は60歳。
夫は2年前に亡くなり、今は娘夫婦と孫1人と一緒に暮らしている。
今住んでいるこの家の敷地には、元は私たちの家が建っていた。
夫が死に、子らと同居することになったが、その際、娘夫婦が家を新築した。
土地は私の物になっているが、家は娘の名義だ。
そのせいで力関係が生じ、この家では娘が最も発言力を持つようになって来た。
娘は自分のダンナより収入が多く、家のローンは娘が払っている。
そのせいで、娘のダンナも娘に頭が上がらない。
私の夫は自営業だったので、遺族年金が無く、私には私自身の年金しか収入のあてがない。
このため、年金がもらえる年齢にならないと、私はまったくの無収入だ。
こうなると、娘の世話になるほかは無く、次第に肩身が狭くなってきた。
日頃は3歳の孫の面倒を見て暮らしている。
最近、なぜか私は痩せてきた。
たぶん病気ではないと思う。
なぜなら、やたら腹が空くので、しっかり食べているからだ。
三食の他、今は1回余分に食べるようになっているが、それでも足りなくなっている。
ところが、それでも次第に痩せてきているのだ。
体重自体は変わっていないのだが、外見は頬骨が出るほど痩せてきた。
辛いのは夕食の後だ。
娘夫婦の手前、夜中にがつがつと物を食う訳には行かない。
このため、夜はひたすら我慢をし、娘たちが仕事に出掛けるまで待っている。
朝食は娘たちが出た後に食べるが、5合炊いたご飯が一気に無くなる。
これで何とか昼まではもつ。
昼ご飯は朝ご飯の2時間後なので、普通の量で大丈夫だ。
夕ご飯は、支度をしながら一度食べ、家族が食べ終わった後に残りを全部食べる。
娘から生活費用の口座をひとつ預けられているが、さすがにこの調子なのでひと月分は3週間ともたない。
娘は無頓着な性格だが、少し気にはなっているようだ。
「最近、なんだかお金の減り方が早くない?」
娘にそう訊かれたので、「消費税も上がったし、最近は何でも値上げになっているから」と答えたが、それでいつまでごまかせるだろうか。
私はどんどん痩せて来ているので、娘たちも今のところ疑ってはいないが、それもいずれは限界が来るだろう。
どうしよう。お腹が空いて堪らない。
そこで私が最初に目を付けたのは、用水路だった。
用水路には鯉がいる。
誰も獲らないので、どれも皆50センチを超える大きさまで育っている。
農業用の水路にはそういうのが何十匹も泳いでいたので、捕まえて食べた。
その次が鶏だ。
家の近くには神社があるが、そこには鶏が沢山いる。
ペットで飼われていたひよこが大きくなったので、誰かがそこに捨てたのが発端だが、その鶏が生き残っているのを見て、同じように鶏を捨てる人が現れた。
十数羽までは捨てられた鶏だったが、されから先は自然に繁殖して、いつの間にか百羽を超えるようになっていたのだ。
神社には広い敷地があるが、さすがに百羽を超える鶏がいると迷惑だ。
かと言って、神社の側ではそんな鶏を掴まえて殺すわけにも行かず困っている。
それなら、その鶏を減らすのは世のため人のためになる。
私が取って食っても、文句は言わないはずだ。
そこで私は、そこの鶏を食べることにした。
鶏を捕まえるのは簡単だった。
餌を撒き、鶏が慣れた頃に、静かに1羽を大きなゴミ袋に入れる。
そこにドライアイスを入れ、しばらく経つと鶏は死んでいた。
袋の中に二酸化炭素が充満し、呼吸が出来なくなるせいだ。
声も上げずに窒息死するので、近所の人はおろか、他の鶏にすら気づかれない。
鶏が死んだら、袋に入れたまま羽をむしり、処理をして、肉以外はそのままゴミに出してしまう。
私は元々田舎の育ちで、自分の家で育てた鶏を潰すのには慣れていた。
初めてなら躊躇しただろうが、子どもの頃の経験があったので、その辺は楽だった。
この方法で2か月間は腹を満たすことが出来た。
それが過ぎると、そこの神社は前の通り、静かな場所になった。
鶏を食べつくすと、私はまた飢え始めた。
「次はどうしよう」
肉の味に慣れたせいか、肉を食べないと物足りない。
何か手立ては無いものだろうか。
ここは郊外で、田畑の間に住宅がある環境だから、この辺に野良猫や野犬はいなかった。
「いたとしても、保健所に連れて行かれる」
ここでピンと閃いた。
動物愛護センターに行けば、引き取り手を待つ犬猫がいる。
そこで私はセンターを訪れ、大型犬を1匹引き取った。
犬を眠らせて、手足を縛り、あとは鶏の時と同じでドライアイスだ。
今度は頭に袋を被せて、そこにドライアイスを入れる。
ボンベを購入した方が早そうだが、一般人が買うのは不自然だ。
もはや法に触れる行為だし、気を付けねばならない。
しかし、犬を貰うのは、ひと月に1、2匹が限界だ。
「ボランティアで、犬を仲介している」を口実にしても、そうそう犬の貰い手はない。
頻繁に犬を貰いに訪れたら、施設の職員はやはり不審に思うことだろう。
そこで、別の施設に行き、今度は猫も試してみた。
しかし、猫はダメだった。肉が臭くて食用には向かない。
ああ。どうしよう。
酒で身を持ち崩す人もいれば、パチンコや賭博で借金まみれになる人もいる。
私の場合は食欲だ。
何か食べないと、苦しくて仕方ない。
あまりの空腹のため、夜中に何度も目が醒めてしまうくらいだ。
今では、孫の柔らかな手足を見る度に、ハッとするようになった。
その度に「うっかり噛み付かないようにしよう」と気を引き締める。
なんだか悲しくなって来る。
「どうしてこんなことになってしまったんだろ」
あれはもう五十年は前のことだ。
私は母に手を引かれて、故郷の山を出て来たのだ。
「帰りたい」
あそこに戻れば、きっと私は本当の自分を取り戻せる。
「帰ろう」
あの安達ヶ原へ。
ここで中断。
最後は結末ではなく、途中をはしょった結果です。
とってつけたので、かなり浮いています。
もちろん、夢の展開はこうではありませんでした。
旅人を殺して金品を奪い、その肉を食っていた鬼婆(または夫婦)が、誤って自分の息子や娘を殺してしまう話は、時代を超え、国を超え存在します。
欧州でも似たような話があるので、古い神話の中にも同じような設定があるのかもしれません。
伝説の「安達ヶ原」に登場する鬼婆の名前が「岩手」。
物語を組み替えて書き直せば、「夢幻行」の一篇に作り変えることが出来そうな感じです。
「めざめ」は、ある日突然、自分の中に眠っていた「鬼」が覚醒するという夢でした。
この話のラインで、きちんと書いてみることにしました。