日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

夢の話 第328夜 めざめ

年末年始に温泉に行きましたが、昨夜遅くに帰宅しました。
これは途中で休憩し、20分ほど仮眠を取った時に観た夢です。

私は60歳。
夫は2年前に亡くなり、今は娘夫婦と孫1人と一緒に暮らしている。

今住んでいるこの家の敷地には、元は私たちの家が建っていた。
夫が死に、子らと同居することになったが、その際、娘夫婦が家を新築した。
土地は私の物になっているが、家は娘の名義だ。
そのせいで力関係が生じ、この家では娘が最も発言力を持つようになって来た。
娘は自分のダンナより収入が多く、家のローンは娘が払っている。
そのせいで、娘のダンナも娘に頭が上がらない。
私の夫は自営業だったので、遺族年金が無く、私には私自身の年金しか収入のあてがない。
このため、年金がもらえる年齢にならないと、私はまったくの無収入だ。
こうなると、娘の世話になるほかは無く、次第に肩身が狭くなってきた。
日頃は3歳の孫の面倒を見て暮らしている。

最近、なぜか私は痩せてきた。
たぶん病気ではないと思う。
なぜなら、やたら腹が空くので、しっかり食べているからだ。
三食の他、今は1回余分に食べるようになっているが、それでも足りなくなっている。
ところが、それでも次第に痩せてきているのだ。
体重自体は変わっていないのだが、外見は頬骨が出るほど痩せてきた。

辛いのは夕食の後だ。
娘夫婦の手前、夜中にがつがつと物を食う訳には行かない。
このため、夜はひたすら我慢をし、娘たちが仕事に出掛けるまで待っている。
朝食は娘たちが出た後に食べるが、5合炊いたご飯が一気に無くなる。
これで何とか昼まではもつ。
昼ご飯は朝ご飯の2時間後なので、普通の量で大丈夫だ。
夕ご飯は、支度をしながら一度食べ、家族が食べ終わった後に残りを全部食べる。

娘から生活費用の口座をひとつ預けられているが、さすがにこの調子なのでひと月分は3週間ともたない。
娘は無頓着な性格だが、少し気にはなっているようだ。
「最近、なんだかお金の減り方が早くない?」
娘にそう訊かれたので、「消費税も上がったし、最近は何でも値上げになっているから」と答えたが、それでいつまでごまかせるだろうか。
私はどんどん痩せて来ているので、娘たちも今のところ疑ってはいないが、それもいずれは限界が来るだろう。
どうしよう。お腹が空いて堪らない。

そこで私が最初に目を付けたのは、用水路だった。
用水路には鯉がいる。
誰も獲らないので、どれも皆50センチを超える大きさまで育っている。
農業用の水路にはそういうのが何十匹も泳いでいたので、捕まえて食べた。

その次が鶏だ。
家の近くには神社があるが、そこには鶏が沢山いる。
ペットで飼われていたひよこが大きくなったので、誰かがそこに捨てたのが発端だが、その鶏が生き残っているのを見て、同じように鶏を捨てる人が現れた。
十数羽までは捨てられた鶏だったが、されから先は自然に繁殖して、いつの間にか百羽を超えるようになっていたのだ。
神社には広い敷地があるが、さすがに百羽を超える鶏がいると迷惑だ。
かと言って、神社の側ではそんな鶏を掴まえて殺すわけにも行かず困っている。
それなら、その鶏を減らすのは世のため人のためになる。
私が取って食っても、文句は言わないはずだ。
そこで私は、そこの鶏を食べることにした。

鶏を捕まえるのは簡単だった。
餌を撒き、鶏が慣れた頃に、静かに1羽を大きなゴミ袋に入れる。
そこにドライアイスを入れ、しばらく経つと鶏は死んでいた。
袋の中に二酸化炭素が充満し、呼吸が出来なくなるせいだ。
声も上げずに窒息死するので、近所の人はおろか、他の鶏にすら気づかれない。

鶏が死んだら、袋に入れたまま羽をむしり、処理をして、肉以外はそのままゴミに出してしまう。
私は元々田舎の育ちで、自分の家で育てた鶏を潰すのには慣れていた。
初めてなら躊躇しただろうが、子どもの頃の経験があったので、その辺は楽だった。

この方法で2か月間は腹を満たすことが出来た。
それが過ぎると、そこの神社は前の通り、静かな場所になった。

鶏を食べつくすと、私はまた飢え始めた。
「次はどうしよう」
肉の味に慣れたせいか、肉を食べないと物足りない。
何か手立ては無いものだろうか。
ここは郊外で、田畑の間に住宅がある環境だから、この辺に野良猫や野犬はいなかった。
「いたとしても、保健所に連れて行かれる」
ここでピンと閃いた。
動物愛護センターに行けば、引き取り手を待つ犬猫がいる。
そこで私はセンターを訪れ、大型犬を1匹引き取った。
犬を眠らせて、手足を縛り、あとは鶏の時と同じでドライアイスだ。
今度は頭に袋を被せて、そこにドライアイスを入れる。
ボンベを購入した方が早そうだが、一般人が買うのは不自然だ。
もはや法に触れる行為だし、気を付けねばならない。

しかし、犬を貰うのは、ひと月に1、2匹が限界だ。
「ボランティアで、犬を仲介している」を口実にしても、そうそう犬の貰い手はない。
頻繁に犬を貰いに訪れたら、施設の職員はやはり不審に思うことだろう。
そこで、別の施設に行き、今度は猫も試してみた。
しかし、猫はダメだった。肉が臭くて食用には向かない。

ああ。どうしよう。
酒で身を持ち崩す人もいれば、パチンコや賭博で借金まみれになる人もいる。
私の場合は食欲だ。
何か食べないと、苦しくて仕方ない。
あまりの空腹のため、夜中に何度も目が醒めてしまうくらいだ。

今では、孫の柔らかな手足を見る度に、ハッとするようになった。
その度に「うっかり噛み付かないようにしよう」と気を引き締める。
なんだか悲しくなって来る。
「どうしてこんなことになってしまったんだろ」

あれはもう五十年は前のことだ。
私は母に手を引かれて、故郷の山を出て来たのだ。
「帰りたい」
あそこに戻れば、きっと私は本当の自分を取り戻せる。
「帰ろう」
あの安達ヶ原へ。

ここで中断。
最後は結末ではなく、途中をはしょった結果です。
とってつけたので、かなり浮いています。
もちろん、夢の展開はこうではありませんでした。

旅人を殺して金品を奪い、その肉を食っていた鬼婆(または夫婦)が、誤って自分の息子や娘を殺してしまう話は、時代を超え、国を超え存在します。
欧州でも似たような話があるので、古い神話の中にも同じような設定があるのかもしれません。

伝説の「安達ヶ原」に登場する鬼婆の名前が「岩手」。
物語を組み替えて書き直せば、「夢幻行」の一篇に作り変えることが出来そうな感じです。

「めざめ」は、ある日突然、自分の中に眠っていた「鬼」が覚醒するという夢でした。
この話のラインで、きちんと書いてみることにしました。