日刊早坂ノボル新聞

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◎南部かしわ蕎麦のレシピ

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かしわ蕎麦(左)と天ぷら蕎麦(右)

◎南部かしわ蕎麦のレシピ
 年越蕎麦を食べるのに、一家の伝統を息子に伝えるべく「南部かしわ蕎麦」を作った。
 レシピはこう。
1)基本出汁を作る
 昆布、煮干をベースに、干し椎茸や野菜のクズで出汁を取る。煮干は一度炙ってから、干し椎茸を戻したのと一緒に入れる。野菜クズは他の料理で使った野菜の皮とかで可。
2)鶏ガラ出汁を作る
 鶏ガラを焼いて、余分な脂を除去した後、ゆっくりと煮て出汁を取る。最初に湯が濁るが、これがほぼ透明になるまで煮ると、鶏の臭みが無くなる。タマネギや牛蒡など、臭みを取る野菜を少し入れる。

 1)と2)を合わせてスープを作るのだが、味付けは塩ベース。酒や味醂はごく少量で可。最後のほうで香り付けに醤油を少々加える。予め塩が入っているので、ほんの色付け程度。

 「かしわ蕎麦」のつゆはこれだけなのだが、せっかく1)があるのだから、少し捻る。
 年末年始は、海老・蟹、また鯛などの魚料理を食べるものだが、この処理の中途で、殻やアラが出る。
3)海老蟹の殻や魚のアラを使い、3つめの出汁を取る。鯛のアラがあれば、これだけでも美味しい。
 1)と3)で蕎麦つゆを作る。 
 たったこれだけの作業で、3つの出汁を組み合わせた蕎麦つゆが出来る。
 時間を掛けて処理できるのであれば、3つ全部をまとめたうゆが出来るが、各々の臭みが取れるまで煮る必要があるから、半日かかる。ま、2種類のつゆを作り、好みのほうを食べるとよい。

 抜群に美味い。たぶん、これを食べると「温かい蕎麦」の考え方が変わると思う。

 

  画像はかしわ蕎麦と天ぷら蕎麦だ。私は肉を少ししか食べられないので、かしわの方は小さいお椀になる。

 かしわ蕎麦と天ぷら蕎麦とで、つゆの味を変えてあるところが味噌だ。

 天ぷら蕎麦は関東の鰹出汁に少し寄せている。

 関東で蕎麦やうどんを食べると、鰹・醤油系のつゆを使うから、汁が真っ黒になるのだが、見ての通り、岩手の北側は透き通った色をしている。

 天ぷら蕎麦の方は、関東に引き寄せて、醤油を強くしたから、少し色があるが、それでも黒くはない。「東日本ではつゆが黒い」のは誤りで、それは関東と江戸の真似をする地方だけ。
 ちなみに、「東京でかしわ蕎麦の立ち食い蕎麦屋を始めれば、必ず儲かる」と考え、実際に店舗を捜したことがある(苦笑)。
 

 ところで、昔は鳥獣の肉は食べられなかった筈だが、「かしわ」という隠語があるのだから、こっそり食べていたのだろう。岩手町に行くと、これが雉蕎麦になり、それが南部本来の蕎麦になる。
 蕎麦自体、江戸時代の末期に、南部の殿さまは「百姓は食べてはいけない」というお触れを出した。
 飢饉で米が取れず、租税が上がらなくなったが、蕎麦は早生で、かつ寒くともそれなりに収量があったから、効率的にこれを集めようという悪巧みだった。
(何時の世も役人はずる賢い。)

 ところが、二戸では「蕎麦は蕎麦粉を細長く伸ばしたもの」だから、蕎麦を平べったい正方形にして「かっけ」と呼んでこれを食べた。
 昔からこの地方は、反骨精神に富んでおり、「長いものに巻かれない」気質がある。

 九戸政実がそうだし、釜沢淡州がそうだ。
 今もその精神が続いており、福岡高校(二戸は昔、福岡と言った)の応援団は、高校野球の試合が盛岡であると、二戸から盛岡まで50キロだか70キロを下駄で歩いて行った。

 

 私の生家は、二戸と盛岡を結ぶ国道四号線で商いをしていた。

 父は福岡高校の生徒たちが店の前を通ると、これを呼び止め、「ちょっと休んで行け」とアイスクリームを食べさせていた。

 父は「何のために」と疑問を感じるほどの愚直な反骨精神が、むしろ気に入っていたのだろう。

 私もそういうのは大好きだから、延々と二戸周辺の物語を書いている。