日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

死んだ後

外国籍の妻は、「死んだ後、自分は悪霊になる」と言っています。
死んでも地獄には行けず、現世を彷徨いながら、様々な崇りを振りまくのだということです。
これは自分では止められない。
なぜなら、元々が魔女だったから。
自分が「魔女だった」という、かすかな記憶が今も残っており、時折、首を落とされて死ぬ夢を見るようです。
それって生まれ替わる前の記憶では。

死ぬと思考能力が無くなり、理屈では考えられなくなります。
このため悪霊の災いは恨みの念を持つ相手や、あるいは身近だった者を問わず、あたり構わず降りかかるのです。
この辺は小説や映画とは違うところ。

「たぶん、真っ先に崇りの対象となるのは父さんだよ。ワタシと結婚したことでもう捕まってるのよ」
それどころか、災いは生前はこよなく愛していたはずの子どもたちにも及びそう。
心の原型たる魂しか残らないのでは、避けようが無く致し方ありません。

私も面と向かっては言わないけれど、この人は悪霊になりそうだと思っていました。
妻は有象無象の霊を引き寄せる何かがあるように感じるのです。

妻の勤務する小学校の教室で、後ろの扉の窓から覗く霊が出ることは前に書きました。
その小学校は3月まででしたが、最後には「用務員さんみたいな格好をした人」の数が増えてきたと言います。たぶん戦前・戦中の国民服か軍服ですが、しかし学校自体は比較的新しい校舎で、せいぜい20、30年しか経っていませんでした。
4月からの学校は創立百数十年で、校舎もかなり古くなってます。木造箇所が多く、「近づくな。危険」の掲示があちこちに出ているとのこと。
この学校の方は今のところまったく静かで、何も起きません。いたって清浄な場所ということです。
「でも、きっとワタシがオバケたちを起こしてしまうと思うよ」
妻はそう言いますが、ダンナが思うに、きっとその通りになるような気がするなあ。

私の方は霊感というものにはいまだに半信半疑です。
ただし死後の世界の存在は確信しています。
死んでも霊的な存在は無くならないと思いますが、その一方で、生きている人の霊感の大半は当てにならない。おそらくその大半は、心のバランスを欠いているために自分自身で作り出すものでしょう。
あるいはさらに進んだ精神障害の1つだと思っています。
このためテレビに出るスピリチュアルカウンセラーや、占い師なのに霊の話をする女性の言葉はまるで信じていません。単なる会話術でしょ。戦国の姫様だとか侍だとか、言ってることがわけがわからないし。

しかし、そう考える私が撮る写真には、様々な「説明できないモノ」が頻繁に写ります。
もちろん、持っていてもあまり良いことは無さそうなので、9分9厘はすぐに捨てます。
私と同じように自分自身で霊的な写真を撮影している人には、「なぜこんなことが起こると思うか」と聴いてみたいように思います。
他の霊感師・霊能力者はもうウンザリ。ただの妄想ですよ。
「そう思った・感じた」ではなく、現実とつなげてちょう。

ちなみに、妻の呪い(?)については全く心配していません。
簡単な理由で、妻より長生きする可能性はほとんど無いのです。仮に事故などで妻が先に死んでも、どうやら私は間をおかずに逝ってしまいそう(行くのは妻とは別のところですが)。
ただし、子どもたちに災いが及んでは困るので、お祓いの仕方を入念に伝えておこうと思います。