◎霊感の本質
いわゆる「霊感」は概ね3通りで成り立っている。
1)「気のせい」「思い込み」によるもの
ハイキングに出掛けた時に、ひとのいない方角から話し声が聞こえる。
ガラスを爪で引っ掻いた音が「女性の悲鳴に似ている」。
意識していない時に起きるのが「気のせい」で、似たものを連想したり、事前に想定していたりする時が「思い込み」。
2)「想像」や「妄想」によるもの
「思い込み」がさらに進行し、「自分には霊感・霊能力がある」と見なすようになると、色々なものが霊的な現象に見えて来る。森羅万象に霊が係わっているかのような気になる。
人に対する被害妄想と同じような感覚が起きる。
「霊感の強いひと」「霊能者」の多くがこれ。
認知症や精神障害により、妄想を見るようになることもある。
3)現実と何らかの関わりが生じるもの
例えば、周囲に誰もいないところなのに、複数が同時に泣き声を聞く。
誰もいない部屋から話し声がするのを複数が聞く、等、ひとりの認識だけではなく、同時に複数の眼や耳で確認できるもの。
これらが混然雑居の状態にあり、確実なものはほとんどない。
見えたから、聞こえたから、あるいは現実と符合するからといって、「実際に存在する」ものかどうかは不確実なままである。
本来、あやふやな性質のもの。
「存在する」、「存在しない」のいずれの証明も難しい。
ひとの「心」は眼に見えず、触ることも出来ないが、誰もが「存在する」と考えている。
それなら、「霊」は「心」とどこが違うのか。
「見えない」「触れない」は否定の根拠にはならない。
一方、具体的事実に近いこと、すなわち衆目の前で同じ現象が生じたりもするが、しかし、いつも同じことが起きるわけではない。別の理由で説明がつくことが多いという難点もある。
自分自身についても、2)や1)が中心で多くは「気のせい」によるものだ。
しかし、説明のつかない3)がまれに起きる。
なるべく記録を残しているが、信頼するに足りるものは依然として少ない。