日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎きれいになっていた(433)

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◎きれいになっていた(433)

◎きれいになっていた(433)

 体調が思わしくないが、このところ参拝していないので、少し無理をしてでも神社に行くことにした。

 大腸に何かが出来ているらしく、便が硬いと痛みが走る。どうやら、そろそろ内視鏡検査が必要なようだ。明らかに腸が狭くなっている。

 母は大腸癌で亡くなったので、「いずれは」と思う。

 

 まずは参拝なのだが、せっかくだから最近の「気になる場所」を回りながら行くことにした。

 最初は先日の日帰り温泉。そこから、Sの滝、K湖、N湖と回るつもりだったが、途中で所用を思い出し、日帰り温泉から神社に直行することにした。

 結局、さしたる異変は起きていなかった。

 やはり数度ご供養するだけで、どの場所もきれいになっている。

 最後に、自宅近くの産直にも寄ったが、ここのフェンス際の栗畑にも「何か」は立っていなかった。

 清浄そのものだ。

 

 お経や祝詞を上げ、大仰に「祈るふり」をする必要は無い。

 普段使う言葉で語り掛け慰めると、幽霊はいくらか執着心から解放されるようだ。

 「穏やかな波を送る」ことで癒されるのだろうと思う。

    恐れのあまり、お経や祝詞、すなわち「念」の力で打ち払おうとするのは、「攻撃する」のと変わりない。

 いきなり殴り付けるより、思うところを吐き出させ、慰める方がよっぽど相手のためになると思う。