◎「会話が成り立つ」 (一年前の振り返り)
画像は昨年の六月二十七日のもの。
六月二十三日に湖畔で自死者の群れに会ったので、その地に日参してはご供養をした。
店は休みだだったが、写真を撮ると、窓ガラスに男性の顔が映った。
そのままその男を連れて行くことにし、いつもの神社に直行した。
神社には霊気の流れが出来ているから、それに倣って流れに乗れば、割とスムーズに寛解(成仏)出来ると思ったのだ。
想像した通りで、神殿前には誰もいなかったのに、湖畔の男と同じ特徴を持つ人影が写っていた。
やはり職人風の体型だ。
通常撮影ではなく、赤外線の方にのみ写っていたが、どうやら、可視域と不可視域をブランコのように行ったり来たりしているらしい。
だが、この時分かったのは、「割と会話が成り立つ」ということだ。
それなら、お経や祝詞などに念を込め、幽霊を遠ざけようとするのは、「いきなり殴り付ける」のと同じことだから、「丁寧に話しかける」方が有効だということになる。
幽界は確実に「存在している」ことが分かったので、あえて赤外線を使って撮影する必要もなくなった。これ以降はあまり赤外線カメラを使わなくなった。
ちなみに、この湖畔にはその後も頻繁に訪れ、必要に応じご供養を施している。
今ではほとんど異変が起きなくなっている。
元々、「あの世」を本当に感じ取れる人はごく僅かなので影響は少なかった筈だが、今ではすっかり「穏やかな地」になっている。